全部だきしめて。

オトコ心とアソビ心のPhoto&Essay、ついに統合エディション!‥‥とか

っらっしゃーい(^O^)/
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‥‥デカい風、吹かんかなぁ。ちっちゃい風に一喜一憂はしたくねーんだよな。
デカい風車はデカい風で回るもんだし、オトコの真価は烈風の中でこそ問われるもんなのだ。
知らんけど!

ともあれ、大人として歴史を織りなす一糸となるより、男として生き抜くコトをオノレに誓った以上、安息なんてクソクラエだ。
って、風Photoを、まんま「安息」でストップさせちまってる分際で吐き捨てる台詞でもねーですけどね。

だがしかし、オトコでありたい。いまわの際までオトコで在り続けたい。そんで死ぬ時はオトコで死にたい。
そーでなければ、この半生、どーしようもない野良犬みてーな俺ってヤツに信を置いてくれた人々への、愛すべき人々への、申し開きってヤツが立たんではないか。

そう自分を鼓舞してはみるものの、何なんでしょう、ここ最近の気力の萎えは。
世の中全てをあきらめたような、熱血とはほど遠いこの心身の喪失感は。

唐突だがニュートリノが光よりも速いコトが証明されたが、だからつって、俺が18の頃に戻れるワケでもなければ、逝っちまった連中がひょっこりお帰りになるワケでもない。
そもそも、ヒトも歴史も過去には戻れぬが故に、ヒトは明日を見据えて後悔のない今日を送るのだ!過去に触れられるものならば、何で俺は今日までこんなに、全力でもって悔いを残さぬ日々を突っ走って来たのであるか、けっ。
‥‥とかね、そんな気持ちになっちまって、とんでもない歴史的大発見を耳にしてさえちっとも胸がトキメかないのな。

こーいうコトは俺にゃ珍しい。
体調は崩してんのな、もうずっと。
だけどもともと、精神は肉体を凌駕するのだ、ヒトは魂で生きておるのだ、との信念で出来てるオトコだからよ、体の不調くらいで精神が萎えるコトなんてない。
ちなみに俺は理系のヒトじゃーないが、だからつって文系のヒトでもないよ。
路上に生を刻む一介のアーティストであるのだ、うひゃうひゃ。
詩人と呼んでくれ、うひゃうひゃ。

そんで気忙しい日々でもあるのな。仕事もそーだが、一身上も色々と慌ただしい。
が、そんな時は尚更、疲れなど感じず昂揚気分で、、、つーよりは逆上気味に、盛り上がったまんま行っちゃうタチでもある。
よって、昨今の気力の衰えが、我が身ながら腑に落ちん、と言うのが率直な気持ちではありまして。
しかしながら腑に落ちんからつって何かが解決するでもなく、ただただ無気力に布団に潜り込んじゃiPadで青空文庫とか気まぐれにめくってよ、そんで先週は「フランダースの犬」読んだ(^◇^;)

多分40年ぶりくらいに読んだんじゃねーかな?‥‥そんでエンディングでまた泣いた(^◇^;)
齢五十も秒読みに入って、まだフランダースの犬で泣けるとは、おー、俺は今もかろーじて詩人だ(^◇^;)
従って俺を一般常識で縛るべきではない、うひゃうひゃ。

いや、そんなこたーどーでもいい。
そこで一挙に幼少時の記憶が蘇って来てさ、ま、どーでもいい記憶ばっかなんだけど、その中にふっと、不審な記憶があった。

多分、昭和40年代前半あたりだと思う。
故郷の地にね、河上で暮らしてる人々がおったのですよ。
ボクの故郷は離島だからさ、土地は貧しいが掘っ立て小屋程度であれ、家屋を持たぬ民はおらんかった。
そんで漁業が基盤の土地柄であるから、海とは密接であったけれども、河ってのはあまり生活に密着した場ではなかったのな。
そもそも「河」って呼べるような河はなかった。カニしかいない岩ゴロゴロの幅数十僂両川とも呼べぬ川しかなかった。海に流れ着くほんの僅かの区間が、ようよう舟を浮かべられる程度の川幅と水量を保っているばかりであったのよ。

そーいう河口の場にね、イカダを係留してさ、暮らしている人々がおったワケです。
学区つーものはシッカリ定められておったし、さほど大した人口でもないから、自分の学区内の土地に顔も知らん同年代のガキンチョなんかおらんハズなんですね、本来。
だが、イカダの上の人々はちゃんと家族連れで生活しておる。イカダの上で女の子が洗濯物干したりしておる。男の子がコッチ見据えたりしておる。
声をかけてみたいが、あきらかに陸の住人を拒絶するオーラがありありと出てもおる。
いったい、あの人たちは何なのか?

とか、子供心にも思ったもんですよ。センセイにも聞いた。が、口ごもるばかりで明確な答えは返ってこんかった。
ただ、あの子らはどこの学校にも行ってないし、あの人々らは戸籍ってヤツもないし、関わり合ってはイカンのだと、何となくそーいうコトを知ったのみであった。

同じように学区内の土地に生活していながら、基本的に全く交流がなく、確かにいるはずの子供らの姿ををガッコでも街中でも街外れでもまるっきり見ることもない集落ってのは、他にもあったのな。

それを語る前に、ボクは根幹に全くもって人種差別的な思想は持っておらず、ってかそもそも根本的に、ニンゲンなんてツマラン存在であって、持てる能力も五十歩百歩のドングリの背比べでよ、だから誰のコトも軽蔑もせん代わりに尊敬もしとらん、ゴーマンなオトコです。(^^)
霊性の高いもののみは尊敬しますけどね。でもその霊性とやらを測る術は持ってねーんだよ、困ったね(^◇^;)
そもそも霊性とはなんぞや?霊格とは?エクトプラズムとは?
ヒトが魂で生きるものなら自我は不滅のものなのか?そもそもユーレイはおるのかおらんのか!!!?
俺はUFOはちょくちょく見るし、幽霊も見たコトある。だが多くのヒトはそんなもんおらんと言う。
ホントか?おらんコトの証明も出来んままにおらんと決めつけちまっていいもんなのか?
オメーら物欲にまみれて地ベタばっか見て金の勘定ばっかしてっから、融通のきかん世界に閉じ込められてるだけじゃねーのか?えーおい、そこんトコどーなんよ!!

イヤそーじゃない、そーいうコトを声高に追求したい気分ではない。
どっちかといえばオムライスとか食いたい気分だが、それもひとまず置いといてよ、しかし妻を娶らば才長けてなくても全然いいから、オムライスを美味しく作れる女性がいいな、ボク(*^^*)

イヤだから要するにボクはね、たかが五十歩百歩の能力やら持って産まれた環境の差異やら家柄やらで優劣を語るとか、それがそもそもナンセンスよ、ヒトには向き不向きがあるだけよ、たかだかサルより毛が3本多いだけの存在よー、アンタとワタシの違いは単なる遺伝子コピーの誤差レベル〜、、、って主義のニンゲンであるから、ボク自身には何のこだわりもないが、地域によってはとてもナイーブな問題だから回りくどくなった。
そこは、ってのはイカダの人たちとは別個の交渉のない集落のコトな、そこは、いわゆる同和の部落だったのよ。
別に大人たちに何だかんだと言われたりしたワケでもなく、だからボクの故郷の地に関する限りは表立った差別と言ったものはなかったと思うのだが、ただ、互いに干渉し合わない、互いの土地にも立ち入らない、という不文律めいたものが存在している空気はあった。

だけどイカダの人々は、その部落の人たちとも全く別の集団であり、大人に聞いても誰も答えてくれぬままに、いつしか姿を消していた。

そんな記憶がふと蘇って来たのだけれども、もちろん今、その正体を知る術なんてあろうはずもない。
けれどもしかしたら、あの人たちは、「サンカ」と呼ばれるまつろわぬ民の一族であったのではなかろうか、と、今、そんな風に思う。

まつろわぬ民‥‥太古において大和朝廷に従するコトを潔しとせず身を隠した先住者の一族。
侵略と支配の繰り返しこそが歴史の本性なのだから、その正当性を云々する気は毛頭ないが、節を曲げて長いものに巻かれるくらいならば滅びをも辞さず、という在り方はいっそ清々しくさえあり共感を禁じ得ない。
ボク自身も、ひとたびオトコとして生きるコトをオノレに誓ったからには、気力の萎えごときで節を失っちゃイカン。
たとえそれが抗いようのない「運命」なるものが相手であったとしても、まつろわぬ者としての本分を貫いて行かねばな〜、などと、結局いつも通りの変わり映えのしない結論に辿り着くばかりの今日この頃ではあるな(^◇^;)

まー俺なんぞは理想ばっか夢見て現実に抗いながら何のいい思いもせず路傍の露と消えるサダメなんだろうけど、そーいう生まれ性だからしょーがないやね。
だけど何に対して抗うか、ってなった時にさ、ツマンネー決まり事なんぞをイチイチ突っぱねて悦に入ってるような薄みっともねー反抗はヤだね。抗いようもない巨大な何かに叛逆の狼煙を上げてこそ、ヒトの霊性は成長するのではなかろうか。
‥‥霊性ってよくワカンネーんですけどね(^◇^;)


PS 生きてます。かろーじて。
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