全部だきしめて。

オトコ心とアソビ心のPhoto&Essay、ついに統合エディション!‥‥とか

っらっしゃーい(^O^)/
 ・写真ブログもヨロシク → 風Photoへ 
      

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最後のステージを降りてほどなく、僕はキーボードのヨーコとの結婚を決めた。
何もかもにケリを着けるには、ヨーコとの関係を避けて通れるはずもない。

ちなみにここでは"ヨーコ”つってますけどね、本名じゃないですよ。
ヨーコつーのはバンド内での愛称であって、本名は固い名前なのな。
どのくらい固いかつーと‥‥ナイショなのだ。

で、結婚するからには向こうの両親に挨拶くらいはせねばならん。
ヨーコの実家は隣町にある。
それは知っていたが、それ以上のことは何も知らんかった。家の場所さえ知らん。
家族構成くらいは知ってた。両親と妹と弟がいるのな。
その妹とはある程度親しくしてたんだけど、両親や弟は顔さえ見たことがなかったんですね。

一応、「挨拶に行くから話つけといてね(ハート」ってヨーコにお願いをしておいた。
彼女が両親に「結婚したいヒトがいるのです、会っていただけますか」と申し述べたところ、
「アタマ金色に染めてバイクに乗ってるような男でなければいい」と言われたらしい(^^ゞ

それって、まんまボクじゃないですかー(^O^)/
会ったこともないのになんで知ってんでしょーか?ムスメ譲りのエスパーですか?

で、とある日曜日、ボクは虎柄アタマのまま、二輪でヨーコん家に赴いたのです。
ちゃんと手みやげは買って行った。彼女んチの近くの御菓子屋で買ったんですけど。

そんで特上の寿司を食わせてもらった。
5、6時間おったと思うが、オヤジさんは最後までヒトコトも口を利いてくれなんだよ(^^ゞ
でも別に、許さんとも言われなんだ。

うるさかったのは周りの連中で、どいつもコイツも口を揃えて、俺に結婚生活はできん!と決めつけやがるんですね。
ヨーコが苦労するだけだから結婚とかしようと思うな、つーんです。‥‥ふざけんな。
もちろん聞く耳なんか持ちやしません。
ボクはその時、ものすごく”父親”ってヤツになりたかった。
男の子が産まれて歩き出したら、手をつないでオモチャ屋巡りとかするのだ、と決めておった。

ボクがそー言うと、周りのロクデナシどもはもう開いた口がふさがらないって顔をして、
「結婚だけでも気違い沙汰なのに、オマエに父親なんか務まるか」って目を剥くんです。

心外である。ボクは家庭人としてやっていける自信があるのだ。心配すんな。
そう思ったけど、ホントに全ての人々にそう言われたことを考えると、傍目にはよっぽど家庭に向いてないオトコに見えたんでしょうねぇ。
ヒトを見かけで判断してはイカンというのだ。

んでもまぁ、強引に結婚はしました。
スッタモンダあって式は挙げなんだ。ライブハウスで友人集めてパーティやっただけである。
堅苦しい席が徹底的にニガテなボクとしては、式が流れてホッとしたのだけれど、今にして思えばカミさんにウェディングドレスくらいは着せてやりたかったかなー。



結婚から1年余が過ぎ虎頭がすっかり黒髪に戻った頃、ボクはスーツ着て通勤するフツーのサラリーマンになった。29才の春、ちょうど今頃の季節でしたね。
その翌年、待望の男児が産まれ、誕生を待ちかねたように故郷の母が逝った。
そうして長男がようやく片言を話し出した頃、ボクは12年の想いが染みこんだ東京を去る決断をした。
俺の親父つーのがまた、モノの見事に生活力なんてものには無縁のオトコだったんで、オフクロ亡き後イロイロと心配だったんですね。
別に孝心とかじゃないですよー(^^ゞ
ほっとくとナニしでかすか分からんからさ〜(^^ゞ

まあ、俺も曲がりなりにも父親になって、唇に乗せる夢の舞台はすでにアメリカでもTokyoでもなかった、ってのも理由のひとつですけどね。

で、オフクロの初盆を前にバタバタと会社を辞めて、売れるものは片っ端から売り払い、運送屋をハシゴしていっちゃん安いトコを探し出し、ネコと赤児をあやしつつ荷造りなんぞを始めるのですね。
想い出の品々を捨てるのに胸が痛いわけです。
でも、ためらってはイカンのです。オトコには踏ん切りが大事なコトもある!うんうん。

さて、長い話でしたが、こっから一気に怒濤の締めくくりです。
僕はシリアスモードにシフトします。
文体変わるが気にするな(^O^)/



引っ越しの準備万端整って後、想い出の彼女に連絡を取り、一日だけ逢った。
昔のように駅前で待ち合わせ、二人で固く腕を組み、想い出をなぞるように、ひたすらに街を歩き続けた。
街角のウィンドウが映し出す僕らの姿は、ティーンエイジャーだったあの頃そのままに見えて、それがまた二人を切なくさせていた。
「ハタから見れば似合いのカップルに見えっかな」
僕の戯れ言に彼女はうつむき、やや時を置いて小さな声で
「ありがとう」と呟いた。
それが彼女との最後の想い出になった。



東京最後の日は、八月初旬のやたらと暑い日だった。
朝から運送屋の若いアンチャンが数人やって来て、汗だくで荷物を積み出し始めた。

エレベーターのない5階建てマンションの4階である。
重い荷物を運び出すのは大変な重労働に違いなく、格安の値段で契約を結んでいる僕としては、若いアンチャンたちに多少の申し訳なさを感じずにはいられなかった。

普通のサラリーマンになって2年余りが経過していたが、マンションの一部屋にはまだ音楽機材が所狭しと並んでいたりする。
それらを梱包しながら、アンチャンたちは時折顔を見合わせては、何事かひそひそと呟きあっていた。

ひょっとしたら荷物が4トン車で積みきれないのかも知れないし、アンチャンらは安い日当では割に合わない仕事だと不満タラタラなのかも知れない。
格安料金でさえ目ン玉飛び出そうだった引っ越し代が、さらに跳ね上がるんじゃないかと、ボクはチョッと不安になった。

積み込みが半ば終わってお茶にしたとき、アンチャンの一人が意を決したようにボクに話しかけてきた。
「もしかして×××のボーカルの人じゃないですか?」
意外な言葉にチョッととまどいつつも、ボクがそうだと答えると、彼は相好を崩した。
「やっぱり。前に雑誌で見たことありますよ。バンドやめちゃったんですか」

雑誌なんぞにキチンと出たことはないが、勢いがあった頃は勝手に取り上げられたりしてたから、その頃の話に違いない。もう3年以上は昔のことだ。

「昔の話だよ、昔の」
投げやりな風を装いながら、ボクは内心、嬉しくてたまらなかったのだ。

自分でも忘れかけていたボクの時間を憶えてくれている人もいる。
そう思うと、Tokyoでの疑問符だらけの12年が報われたような気になった。
そうして、Tokyoの街がアンチャンに乗り移り、別れの餞を投げてくれたような気がして、我知らず鼻の奥がツンとした。
(あばよ、東京。ありがとう。そして、またな)
少年の面持ちが残るそのアンチャンと二言三言言葉を交わしながら、ボクは胸の内で、そんな言葉を何度も繰り返していた。



その日の夕方、僕と妻は長男と猫を抱いて、新幹線の乗客となった。
発車のベルまで僕は、乗り込んだ個室車両の窓際にへばりつき、幾本ものレールの果てのフェンス越しにわずかに見える街並みに当て所なく視線を漂わせていた。
結局、僕の夢は、目には見えないフェンスに阻まれたまま、空しく路地裏の風になる定めにあったのだろう。
憧れたアメリカは後ろ姿も追えないほどに遠いままだったが、そのこと自体には何の後悔もなかった。

足がかりのつもりで住み着いたTokyoを、僕はこよなく愛した。
青臭い恋や熱の全てを、酒臭い夜と誰にも見せられなかった涙を、果たせなかった幾つかの約束を、僕はこの街に刻みつけ、あるいは街角に投げ捨てて暮らしてきたじゃないか。
夢を引っさげてこの街を全力で走った、それだけで充分、悔やむことなど何一つないはず。

東京で生まれ育った妻は、未知の土地への期待と不安が大きかったものか意外なほど名残惜しげな素振りも見せず、何かとむずがる長男と猫に交互に語りかけたり、車掌に粉ミルク用のお湯のありかを尋ねたり、せわしげに動き回っていた。

やがて発車のベルが鳴り響くと、身震いひとつを残して列車は静かに滑り出し‥‥、慣れ親しんだ東京の街並みはたちどころに、僕の視界から流れ去って消えて行った。

さらば、東京 ‥‥俺の街よ。



  Tokyo- Boogie

 Hey,Tokyo Boogie 酔いつぶれた俺の影を抱いてくれよ
  空のボトルを抱きしめてる 東京最後のスカした夜
  Hey,Tokyo Boogie コンクリートにアイツの名前 殴り捨てたら
  間抜けな昨日がこぼれちまいそうで 汚れたシャツで鼻をすすってる

  アイツと出逢ったダウンタウン とびきりの恋をもらった
  どっかの街でも漁る夢には不自由しねぇさ

  Boogie, Hey Tokyo boogie 空きっ腹の痩せ犬が今夜 街を出るよ


  Hey,Tokyo Boogie つかず終いの昨日のために唄ってくれよ
  二人のベッドで ラジオが唄ってた あの日のルーズなブギをも一度
  Hey,Tokyo Boogie いつもアイツを くるんだ革ジャンくたびれてく
  この街濡らした土砂降りと アイツの涙に打たれて

  路地裏に置き忘れた あの日のウェディング・ベルが
  この街出て行くたった一つの心残りだぜ
  Boogie, Hey Tokyo boogie 空きっ腹の痩せ犬が今夜街を出るよ


    いつか俺が老いぼれて土に還るその時は
    東京の風に吹かれて酔い潰れていたい

  Hey,Tokyo Boogie 想い出の数 街角にクラクション叩きつけたら
  エキゾーストが風を焦がす前に もうここから消えちまおう

  Hey,Tokyo  俺の街よ、もうここから消えちまうぜ‥‥




     ー フェンスの向こうのアメリカ  完 ー
    
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今日は割りにサクサク動くぞBroach。だが、もう遅い。
それに、おそらくは改善したなどではなく、たまたま今は調子いいだけのことなのだ。
どうせすぐに重くなり、更新押したらエラーで書いた記事全部消えちゃいましたー\(^O^)/とかになるに決まっている。
今まで何度かそんな目にあったから、もう全く信用してないのだ、ぷららなんて。



そんなワケで昨夜徹夜して他所にニュー・ブログ開設しちゃったから、もはやBroachがどうだろうがどーだっていいワタシである。
さらばブローチ、おまえのコトは‥‥もう知らん(^_^)ノ""""



そんでフェンスです(^-^)/
完結まであと2回、しかしブロガー引退が白紙に戻った今、焦って終わらせる必要はないのですね。
でもここで安心して、「まあいいやぁ来週でも」な〜んて余裕ぶっこいてたら、あと2回を残して永遠に未完のオハナシとなってしまいかねない。
いや、絶対そうなる!

だから、ニューブログはもう始まってんだけど、フェンスだけはコッチで終わらせるつもりなのですね。



‥‥って、このシリーズは本文だけでもムダに長いとゆーのに、前置きだけでこんなになちゃってもう\(><@)/

それもこれもぜ〜んぶ回線状況さえマトモに把握していない、いやそんなつもりさえないBroachがイカンのだ。
俺はイッコも悪くないよ。



では、始めます\(__ )
え〜と、前回は、「新宿の雑踏で僕らはバラバラになった」ってあたりまで話しましたっけ?
僕のバンド脱退に関しては、日を改めて話し合おうぜ、ってとこまでですよね?



フェンスの(13)

結局その後、全員での話し合いの場など持つこともないまま、バンドは一切の活動を停止した。
名目は”停止”であり、新規メンバーの加入も含め、もっと将来を見据えた活動をして行くための充電期間ということになっていた。
が、それは、性急な解散=分解という事実が誰の肩にも重過ぎたが故のモラトリアムに過ぎなかった。

僕自身はすでに、音楽をやる意味さえも見失っていた。
その頃はレンタルスタジオのスタッフをやっていたのだが、かつては熱く音楽論を戦わせたりしたそこの利用客の姿さえ、いつか醒めた眼で見るようになってしまっていた。
付き合いで幾つかのライブも見には行ったが、ライブハウスの熱気までが以前とは違った空々しいものに感じられて仕方がなかった。
顔見知りのミュージシャンやスタッフに声をかけられることも疎ましく、ちょっと前までは僕の唯一の居場所だったはずのその世界で、僕はまごう方なき異邦人となった自分を感じざるをえなかった。

そんな状態から逃げるように、僕は意図的に生活から音楽を排除し、目的など無いままに小さな旅を繰り返しては、土産を渡す名目で件の彼女と忍び逢ったりして、無意味に日々をやり過ごしていたのである。

気がつけば30という年齢が間近に迫っていて、だけど未来の形など後ろ姿さえどこにも見えなかった。
20代を無駄に駆けただけではないのか、という底知れぬ不安も胸の奥には確かにあったが、そんなことも深く考えはしなかった。

素面でいると自己嫌悪に苛まれて眠れない。
毎晩浴びるほどの酒を飲み、酔いつぶれて眠る堕落しきった日々。
決して昔に帰ることはありえないはずの彼女との関係だけが、目的を失った僕を照らすわずかな光だった。



彼女はすでに人妻であるし、僕とてフリーというわけではない。
ルール違反の自覚はあった。
が、僕も彼女も、自分たちの仲が終わったものとは思えずにいた。
確かな別れを経て離ればなれになった二人ではなかった。

かつて彼女は、実家に置き手紙を残し、僕が贈った揃いのリングだけを携えて家を飛び出した。
彼女の行方は杳として知れぬままに時は流れ、僕は歌唄いになった。
彼女に伝えきれなかった想いがある。そして約束ひとつ守れなかった自分への歯がゆさ‥‥。
そんな感情を胸の中で風化させることは出来そうになかったから。

そうして数年を経て、彼女が再び僕の前に現れたとき、僕らは昔のままの変わらぬ想いを確認しあったのである。
だがその時には僕には同棲相手がいて、何をどうすることもできずにいるうちに彼女には縁談が持ち上がった。
彼女の想いは解っていながらも、僕は引き留める言葉を口にすることができず、むしろ心とは裏腹に結婚を勧めるような事を言い、そうして彼女は実家の隣町に嫁いでいった。
結婚式の前日に届いた速達の手紙には、彼女の抑え切れぬ想いがあふれ出ていた。

そんな形で途絶えた仲が復活したのだから、僕らは互いに自分自身の立場など問題にもしていなかった。
相手の立場だけは互いに気づかい、一線を越えることはしなかったが、そうやって気持ちを抑えることも、そろそろ限界に差し掛かっているようだった。

そんな中で彼女は二人目の子供を妊娠した。
僕らの関係に新たな涙が加わり、彼女は僕以上に追い詰められて、自分を責め、情緒不安定になって行った。



僕は自分の明日などどうでも良かったのだ。
彼女が幸せならばそれでよかったはずなのに、今、この手で彼女の未来を壊しつつある‥‥。
その自覚が、抜け殻だった僕の心に、再び魂を吹き込んだ。

ケリをつけよう、何もかもに。全てに後悔のないように。
僕は数ヶ月ぶりに、五線紙に言葉を書き殴った。

 「Boy 俺の中のBoy 眠るなよ、まだ眠るなよ
  愚かな夢にケリをつけるまで」

 「いたずらに傷を負い 逝っちまったティーンエイジャー
  こんな男になるなんてと 胸の風穴が叫ぶ」

 「壊れてく日々の中でおまえが見たエンディング・シーンは
  Happy? それとも Blue end ? 今は知る術もないけど」

あふれ出した言葉とともに、僕は活動を再開した。
未来への希望や夢は必要としない、ケジメを着けるための、終わりのための疾走だった。

そして、解散ライブ。
皮肉にも客席には、複数の業界関係者の姿があった。
「悪いが今日は、俺はアイツらのためにもバンドのためにも唄わない。
みんなも自分のために、悔いだけは残すなよ」
本番直前に、僕はメンバーにそれだけを言った。
メンバーもそれぞれに、活動休止中に自分の道は見据え終わっていた。
そうして僕らは、青臭い時代にケリを着けるためのステージへ登った。
僕は、客席のどこかに身重の身体で座っている彼女のためだけに、最後の歌を歌った。

その日、僕らのバンドは正式に解散し、僕はステージ・ライフに別れを告げた。 



   Silver Ring Memory

   涙浮かべたまま そっと笑った
  別れ間際の笑顔 今も忘れない
  二人暮らす夢 あの日破れたけど
  誓った愛の言葉は 嘘じゃないのさ

  「愛するために愛してきた そのはずだから
  苦しみより永い別れ 選びましょう」
  そして二人黙って 見つめ合ったあの時
  懐かしいメロディ流れてた 憶えているかい

   俺が愛した 最後のBaby 生き急いだね 俺もおまえも
   声枯れるまで叫び続ける ソング・フォー・ユー
   遠いおまえの 胸に届けと


  夢は永遠の眠りに着いたと 風の噂
  街は陽気なサタディ・ナイト 雨が降っていたという
  Oh Silver Ring Memory 愛の雫を
  拾い集めても おまえ 戻らない

  時は流れて 俺を照らすスポット・ライト
  汗にまみれて 俺は歌っている
  儚な過ぎた 俺たちの愛のために
  短か過ぎた 二人の明日のために

   俺が愛した最後のBaby 生き急いだね 俺もおまえも
   声枯れるまで叫び続ける ソング・フォー・ユー 
   遠いおまえの 胸に届けと


  Oh, Silver Ring Memory 愛の雫を
  拾い集めても おまえ 戻らない
  Oh, Silver Ring Memory 愛の雫を
  拾い集めても おまえ 戻らない‥‥




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さて、週刊のフェンスシリーズです\(__ )
ケジメの意味で続けてますけどね、もう話もほぼ終わりに近付き、面白いエピソードなんてイッコも出てこないんですねー。

ツマラン内容なのに長文だしね、しょーもないから別に読まなくてもいいんですよー。
本文とイッコも関係ない写真だけ楽しんで下さいね〜(^O^)/
‥‥と、のっけからお断りしちゃうのだm(__)m

ドラマーであるチーちゃんが就職し、バンドに費やす時間のやり繰りが難しくなったことで、僕らのライブの回数は激減して行った。
当面は月イチくらいなら何とか、と言っていたものが二月に一度になり、それさえもサポートメンバーで急場を凌ぐことになったりもして、それに連れ、全員の緊張感が緩んでいくのを僕は肌で感じていた。

チーちゃんはそれを気にして、代わりのドラマーを探してくれ、と再三に渡って口にした。だが、メンバーにそれを望む者はいなかった。
正規ドラマーはチーちゃん以外ありえない。長年の活動の結果、それくらい一体意識は強まっていたのだった。

しかし、皆でいる時間が減ったことは、緊張感のみならず集中力の低下をももたらした。
簡単に言えば、今ひとつ気が乗らない。
もっと簡単に言えば、要するにタルんでいる。
それは例えるならば、チューニング甘いままのギターを弾き続けてるみたいなモンで、苛立ちと気持ち悪さが常に付きまとう状態なのだ。
散漫な音合わせなど、幾ら重ねてもちっとも楽しくない。
楽しくないから、初めは「まあしょうがないよ」と投げやりに妥協してたものが、「テメー何やってんだよ」と殺気混じりの鋭いマナザシに変わって行く。

そんな中で、僕の気持ちは急速に萎んで行った。
ドラマーが正規メンバーでないとか云々以前に、ボーカルで一応バンマスでもある僕がやる気を無くしつつあるのだから、ライブやってもいいステージなんぞ出来るわけがない。
で、ライブの出来の悪さを「今日はドラマーが正規メンバーじゃないので‥‥」なんつって毎回言い訳すんのも、もうウンザリよ俺‥‥。



春四月、新宿。久しぶりにチーちゃんが戻ってきたステージ。
無理に仕事を早じまいして駆けつけたチーちゃんは、それでもリハにさえ間に合わず、翌朝も早いとかで、本番終了と同時にそそくさと引き上げてしまっていた。
小一時間のステージを終えた直後だというのに、身体にも心にも火照りがない。
こんなことは初めてだった。


楽屋に戻り、何となく浮かない顔で皆が機材を片付けていた時、ついに僕は
「俺、バンド止めようと思うんだけどな」
と口にした。
かつてはストリップ小屋で、踊り子の支度部屋だったというそのライブハウスの楽屋の、見慣れた赤絨毯がヤケに薄汚れて見えたことを憶えている。

冷め切った心で、本当は「解散」と言いたかったのだ。
だが、メンバーは皆、20代の貴重な時間の全てをこのバンドにつぎ込んで、同じ夢を見た仲間である。
僕の熱が冷めたからと言って、バンド自体を僕の我が儘で消滅させていいものではなかった。

「俺は今夜で抜けるけど、バンドはそのまま続けりゃいいよ。
ボーカルだけ探してさ、使いたい曲があれば好きに使っていいからよ」
僕の言葉に、皆、しばし黙り込んだ。

それからミチオが、僕をなだめるように、妙に間延びした声を上げた。
「いきなり変なこと言うなよぉ。おまえが煮詰まってんのは感じてたけどさ。
ライブの数なんて減ったっていいじゃねーかよ。このまま行こうや」

他のメンバーは口を開かず、それぞれの思案に思いを巡らせている風だった。
僕は皆の顔を均等に見渡しながら言葉を継いだ。
「バンドはいいバンドだと思ってるよ。まとまってるし、まだまだ伸びしろもたっぷりある。
でも俺はもう駄目だ。もともと気迫だけのシンガーだしな。
気力が萎えたら三流以下の歌い手だよ。恥ずかしくってステージになんか立てねーよ」
話しているうちに、ここ数ヶ月の鬱憤が怒りになって噴きこぼれそうな気がした。
だがそれは、自分に向けるべき怒りであった。
メンバーに当たらないように、僕は慎重に言葉を選んだ。

「師匠のバンド、師匠抜きでも独立した活動やってるだろう?
あんな感じで活動しながら、女の子のボーカルでも見つけた方がいんじゃないか。
俺がアタマでやってる限りは曲だって限られるし、ずっとライブハウス止まりだぜ。
イカ天に出る気もないしよ」
最後は茶化し口調で言ったが、誰もニコリともしない。
いつの間にか皆、赤絨毯に座り込んでいた。

「Daiさんが抜けるんなら、俺もバンド続ける気はないよ。別に音楽で食って行く気はなかったし」
沈黙を切り裂くようにトオルが声を上げた。張り詰めた空気が流れた。

キーボーディストのヨーコが、俯いたままポツリポツリと話し始める。
「本当は私も会社が結構大変でね‥‥月イチのライブくらいなら何とかなるんだけど、正直、スタジオでのリハは負担なんだ。
バンドだけでこれからも、って、そーいうの、無理だと思う」

「おまえら、突然どーしたんだよ。何なんだよ。悲しいこと言うなよぉ」
ヨーコの言葉を遮るように、ミチオが声を荒げた。
「ここまで一緒にやって来て、もったいねーよ。Daiも考え直せよ、な。
とにかく、今はチーちゃんもいないし、今度みんなで集まってからチャンと話し合おうや。
今日は久しぶりのライブだったんだし、パーッと打ち上げに行こうぜ」

ミチオは悲痛とも必死とも思える面持ちで浮かれ気分を装っていたが、それは場の重さに対していかにもちぐはぐな感じで、一層皆の苛立ちを募らせただけのようだった。

「俺は今日は帰るよ。考えたいこともあるし」
トオルが吐き捨て、腰を浮かしかけた。
途端にミチオは我慢の限界とでも言わんばかりに、トオルより先に立ち上がり
「じゃ、今日はお開きな。Dai、早いとこみんな集めろよ」
言い捨てるや否やギターを引っさげ、楽屋を出て行きかける。
僕らは何かに追われるように、慌ただしくミチオの後に続き、小屋を引き上げた。



ハウスのドアを出た舗道で、僕らは離ればなれになった。

「それじゃ、お疲れ。連絡待ってるから」
短い言葉を残してトオルが車に乗り込み、
「俺、ちょっと寄るトコあるから。後で電話するよ」
ミチオが僕の肩をひとつ叩いて、新宿の雑踏に消えた。
所在なげに事の成り行きを見守っていたサポートメンバーもそれぞれにどこかへ流れ、僕はトボトボと駅への道を歩き始めた。

開放感と底知れぬ淋しさが、胸の奥でとぐろを巻いていた。
四月にしては生ぬるい夜風が、街角の喧噪を運んでは過ぎた。


‥‥で、僕はその足で新大久保のラブホに行ったのな(^^ゞ
そんで大変清々しい気持ちで次の朝を迎えたのだが、それはまた別のオハナシなのだ(^^ゞ

とにかくこの夜、バンドはバラバラになった。
チーちゃんの考えは聞くまでもなかったし、何を話し合おうが、以前のような一体化した関係に戻れないことも、また判り切っていたのかもしれない。

          ‥‥そんで(13)に続くよ(^O^)/



写真は、昨日の妻籠宿お散歩ネコのガシガシ模様。
ピンが甘いんで余り上げたくなかったんだけどな〜。

おっといけねぇ、フェンス忘れてたぜ(^^ゞ

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バンドってヤツの持つ連帯感は一種独特で、活動を続けていくうちに運命共同体といった意識が強く芽生えて行くものらしい。
僕らとて例外ではなく、共同生活を送っているわけでもなければ、ことさらに将来のビジョンを語り合うこともなかったが、その絆は肉親のそれを越えていたようにも思う。

とは言え、年齢も環境もマチマチな上に自己主張の強い連中の集合体である。
小さな感情のすれ違いは幾らでもあった。
だが、ライブを前に楽屋入りすれば、些細なわだかまりはたちどころに氷解した。
そうしてステージを降りる頃には、それこそ一つ屋根の下で暮らす家族のような繋がりを、それぞれが強く感じていた。

僕らは自分たちのことを自虐的に「野良犬の集まり」と呼んでいたが、むしろ野良猫のように勝手気ままな集まりだったため、求められない限り、互いのプライベートに干渉し合うことは一切なかった。
楽器を持って集まれば、ひとつになる。それ以外の時は皆、好きなように生きていた。

ベーシストのトオルは、髪を総金髪に染めたあと眉毛が黒いのが気に入らぬと眉を剃り落とすような無茶苦茶なヤツで、ライブハウスで働きながら劇団にも出入りし、そっちでステージに立ったりもしていた。

中期のギターのミチオは付き合いの広いオトコで、アチコチのバンドと交流があった。
酒とオンナをこよなく愛する彼は、ライブがハネた後の客も交えた打ち上げを何よりの生き甲斐にしていたが、酒はメンバー間で最も弱くすぐベロベロになったし、オンナにもあまりモテてはいなかったぞ。

後期ギターのポンちゃんは、これはもう絵に描いたようなギター小僧で、ギターがあればシアワセ(ハート、って顔で生きていた。
技術レベルも高かったため、色んなバンドにサポートを請われてはギター担いで出かけていた。
今もスタジオ・ミュージシャンで食っている。
ちなみにポンちゃんの趣味は、五線符の端にモノスゲー下手クソで不気味な”カワウソ”のイラストを描くことだったが、何のマジナイだったのかボクは知らない。聞くのが怖くて聞けなかったのだw

キーボードは、まあ今のカミさんだが、その頃はまだカミさんじゃなかった。
このフシギ女はもともと大学で応援団に所属しチアガールやってたのだが、バンドのために応援団を途中で退部し、大学も1年留年するハメになった。
就職してからは会社の同僚のかわいいオンナのコをライブに引っ張ってくるので、ミチオには絶大な信頼があったのだった。

中期ドラムのカズトは、一番年若の家出小僧で、一本気で気持ちのいいオトコだったが、練習に遅刻ばっかするんで涙を呑んでクビにしたのな。
でもその後もずっと、バンドのサポートメンバーとして裏方をやってくれ、後ガマのドラマーの都合がつかないライブではドラムを叩いてもくれた。
ただしドラムの腕は俺に毛が生えた程度なのだ。そんで俺のドラムは森高千里以下だw
彼は、東京を引き払った僕が3年ばかり住んだ長崎を後にし高原の村にやって来たのと入れ違いに、なぜか東京から長崎に引っ越し、今は漁師をやっている。
ちなみに出身は岐阜なのだ。ワケわかんね。

カズトの後任ドラマーのチーちゃんは、寡黙な九州男児だった。
確かチーちゃんの彼女とウチのカミさんが職場の同僚だったんだっけ?よく憶えてないが加入の経緯はそんなあたりだった気がする。
入った時には大学生で、やや遠方の地に住んでたにもかかわらず、就職活動もそっちのけでバンドに精を出してたのだが、いよいよ決まった就職先がさらに遠方で、ライブはおろか音合わせの都合を付けるのも困難になってしまった。
これにより僕らの活動ペースは鈍り、それが解散の一因となったことは否めないが、別にチーちゃんは悪くない。

ざっとメンバー紹介しちゃったが、そんなこんなの最中に、僕は居候暮らしから卒業し、キチンと引っ越しをした。
場所は愛と風俗の街、西川口。オートレース場のすぐ近く。
当時出現して間もなかった、今をときめくレオパレスだった。

バス・トイレ、冷蔵庫付き1DK。フローリングの床にロフト付き。
外観も内装も思い切りオシャレだったのだ。壁は薄かったけどな。
引っ越しは、ミチオが2tトラックをレンタルし、メンバーこぞって手伝ってくれた。
二輪乗りだった僕に車の免許はなかったからだ。

僕の大したことない荷物はメンバーそれぞれの住み家にちょっとずつ分散されていたから、ミチオは半日かけて都内を回らねばならなかった。
そんで僕は洗濯機と電話機だけを新たに購入し、二輪にまたがり手ブラで新居に赴いたら、引っ越しはあらかた終わっていたという不思議‥‥。
感謝を込めてみんなにメシをご馳走したように思うが、もしやそれは気のせいかも知れない。

そうしてその頃の僕は、すでに別れから7年が経過しようとしていたクダンの大恋愛相手との交際を復活させていた。
彼女は結婚して近県に嫁ぎ、すでに一児の母であった。

結婚が決まった時と式の前日に、それはもう胸が締めつけられるような切ない手紙をもらった。
だけど僕は、思いの丈をステージで叫ぶこと以外何もできない無力なオトコであった。
別れてからも、手紙や電話でのやり取りくらいは続いていたのだ。ライブの客席にも彼女の姿はあった。
しかし人妻となった彼女と、そんな関係を続けるわけにはイカン。
想いを断ち切るために、僕は住所不定の生活にひた走ったという裏事情。

ところでその頃、京都だか岩手だかで暮らしてた初期ドラマーのリョウちゃんは、僕と彼女の関係をつぶさに知っている一人でもある。
ちなみに僕とカミさんとの関係をもつぶさに知ってる。
なにせ三人で共同生活を送っていた時期もあるのだ‥‥ナニモノだよ、リョウちゃん。

彼女の結婚からおよそ2年後‥‥‥‥
そのリョウちゃんが、久しぶりに僕のもとに遊びに来たとき、絆は切っても想いを断ち切れずにいる僕の心中を察し、彼女に連絡を取り、僕に彼女の嫁ぎ先を教えやがったのだ。

僕は数日の逡巡の末に彼女の新しい電話番号をダイヤルした。
それ以後、彼女は幾たびか遠方の地から僕のライブに訪れ、またプライベートでも僕らは数度の逢瀬を重ねた。
もはや彼女との絆を断ち切る努力の必要も意味もなくなったことで、僕は居候生活に終止符を打ったというワケだ。

だからといって、フシダラな関係を結んだわけではない。
僕には、いわゆる「不倫」という言葉のカテゴリー内に彼女を置くことが耐えられなかった。
かつての恋人同士が必然性もないのに二人きりで逢っている。彼女はすでに人妻だ。
でもそれは不倫じゃないよ、後ろめたいことは何もないよ、と世間様に胸を張れる状態でいるためには、彼女に指一本触れちゃいけない。
それが、僕が彼女を守るために思い定めた、唯一の選択だったのである。

互いに、かつては一晩中でも口にし合った素直な想いは胸に仕舞い込んでの、辛い逢瀬だった。
逢わずにはいられず、逢えば心は満たされた。だが、後には苦しさばかりが募った。
その辛さは、僕よりも彼女の方がより強く感じていたはずである。
僕にはまだ、その辛さを吐き捨てる場所があったが、彼女に逃げ場はなかったのだから。

<次週、フェンスの(12)へと続く‥‥‥‥あと何回で終われるか!?\(^O^)/>

 

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もうタイトルぐちゃぐちゃ(^^ゞ
中身も自分史になってしもうた\(^O^)/
しかし今さら軌道修正は不可能なのだった‥‥。
では行きますm(__)m



最初のバンドの空中分解後から、僕の流浪は始まった。
酒とクスリ漬けの日々で身体は急速にやせ衰え、体力は落ちるところまで落ちていた。
これでは唄など歌えん、と言うわけで、とりあえずは身体を作り直すために、僕はガテン系の仕事を渡り歩いたのだ。

ところで僕は、人混みが嫌いである。混雑が嫌いである。
人々が何の疑問も持たぬげに、機械的な集団行動を取っている様を見ると、ゾッとするタチなのだ。
満員電車などその最たるものだと思うんですよ、ホント。

で、満員電車での通勤を避けるために、職を変えるごとに職場に最も近い友人宅に転がり込むことに決めたのだ。
みんな迷惑だったかもしらんが、俺は気にならなかったからしょーがない。
一人の元には長くても数ヶ月、いったい幾つの町を渡り歩いたのだろう。
東京の北西部は、ほぼ全ての沿線を制覇したのではなかろーか。



もちろん全て居候だから、家賃なんざ払わないのだ。
その当時は住民票さえどこにあるのか自分で把握できてなかったから、税金だって払わない。
乗ってた単車は250ccだったから車検などなかったが、車両税はどうしたのだろう?
そーいえば健康保険証もどっか行っちゃってて、医者に行くときは友人の保険証を借りてたのだ。
そのため自然と足が遠のき、通院しなくなってから急速に身体は回復して行ったのだから、人生何が幸いするか判らない。

そうして音楽関連の出版社の出庫業務‥‥簡単に言えば倉庫係をやってる頃に、中期のメンバーと知り合った。
一時期は9人編成の大所帯に膨れあがったのだったが、半年ばかり費やしてスリム化を図り、落ち着いたところで満を持して、新たなるバンドは嵐の海に帆を上げたのであった。

折しも時代は、後の世に言うバンドブームが花開くわずかに前、アマチュア・バンドの台頭華々しかったが、レベル的には著しく低いといった時代であった。

そんな背景の中、曲がりなりにも一日の長があった僕の新たなるバンドは、ワリとすんなり、どの小屋にも出演することができた。
それほど客を呼べるわけでもなかったのに、売り込み活動などせずに演りたい時に演らせてもらえたことは幸運であったと思う。
世話になった幾つかのライブハウスの支配人に、この場を借りて熱く礼を述べたいのだ。

ありがとーございましたぁ(^O^)/好き放題やってごめんなさ〜い(^O^)/

‥‥って、見ちゃいねーw 見られてても照れるが。

で、高円寺界隈だったホームを新宿に移し、ライブに追われ、でももちろん食っちゃいけねーからメンバー全員音楽関係のバイトに就き、寝ても覚めてもバンド漬けの日々が始まった。

充実していたと思う。ストリートで歌ってた頃よりも、野宿で放浪していた時期よりも、僕は生きている実感を強く感じていた。
メンバー各々も、描く夢はそれぞれに違っていたかも知れないが、バンドのベクトルはしっかり同じ方向を指していた‥‥はずである、うんうん。

折しもアマチュアの登竜門であったヤマハ「ポプコン」が幕を閉じ、ライブハウスの価値が高まりだした時期でもあった。
アナログ盤のレコードに取って代わってCDというものが店頭に並び始め、その、便利ではあるがチープな装丁は、かつての僕らには選ばれた者だけの栄光の座に見えていた”プロの世界”を、急速に身近な色褪せたものに変えてしまっていた。

そんな中で、昭和は終わりを告げた。
その頃僕は、ライブハウスと同系列の小さなスナックを一軒預かっていて、まあ反社会的な価値観に支配されていた時期でもあり、国を挙げての自粛ムードをものともせず、店の入り口にセットしたBOSEのモニター・スピーカーからR&Bなどを大音量で夜通し流して、とある連中に因縁つけられたことを憶えている。
悲しい想い出である‥‥困ったもんだ(^^ゞ

そうして年号が平成に代わり、やがて「イカ天」ブームがやって来た。
顔なじみのバンドもちょくちょく出演していたが、ウチのメンバーに「俺らも出ようや」などと言い出す者はいなかった。

大事なのはメジャーデビューすることでも紅白歌合戦にノミネートされることでもなく、悔いのない時間を生きることなのだ、と、みんな思ってたんじゃなかろーか?
僕自身はもっと単純で、キャパ50人以下の小さなホールが好きで仕方なかっただけなんだけど。

しかし人の心とは不思議なもので、これほどまでに何の余念もなく、ひたむきに向き合っていたはずのバンドへの情熱が、ある日突然、醒めることになる。
それはもう俗に言う「憑き物が落ちた」みたいな心境だったのだが、今思えば逆に、音楽から引き離さんとする何かに憑かれた状態にあったのかもしれない。
だが、今になってそんなコトを思ってみてもいかにもいかにも遅いのだ。

ともかく、ある日を境にバンドは崩壊への時を刻み始めた。
それは僕にとって、十年近くもモラトリアムを与え続けて来たティーン・エイジャーという時間への、惜別の始まりでもあった‥‥。

  スポット・ライトは どこかのスターのもの
  陽の当たらないところを 僕は生きてきた
  降りそそぐ白い月灯りにさえ
  肩をすぼめては 眼を閉じてきた
    ー 「最後の夜汽車」 甲斐バンド ー


‥‥もしやその(11)へと続くのか!

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