全部だきしめて。

オトコ心とアソビ心のPhoto&Essay、ついに統合エディション!‥‥とか

っらっしゃーい(^O^)/
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世の中にゃーさ、詩人と詩人にゃなれないヤツと二通りの人種がある。

って、二月ぶりくらいに現れて唐突にナニ言い出すんだと思うかもしれんが、俺にヒトの思惑は関係ねーから気にしたって始まらない。

そんでさ、昔っから「恋すりゃ犬も詩人だ」って言葉があったりするよーに、詩人にゃむかない人種でもコイゴコロってヤツを抱いた時だけは詩ゴコロがアタマをもたげ、そーいう意味ではヒトは皆詩人なのだが、しかしその程度の詩ゴコロはマグレ当たりの詩ゴコロであって、詩人の魂と呼ぶにはほど遠いのだ、詩人的には。
今ここまでに「詩」ってコトバを11回使った。次のロトは11を軸に買ってみるね、俺(^O^)/

イヤ、マグレ当たりもしねーロトの話はどーだっていいのだ。
詩人つーのは苦しいもんだ。葛藤の中に生きている。ウソじゃない。
ただ、その葛藤と真摯に対峙するか、のほほんと身を委ねるかは、そのヒトそれぞれの人となりに由来するものであって、つまりはどっちだっていーんだよ。
この際ついでに調子こいて言い放っちまうなら、ゲイジュツは苦悩の果てにしか生まれない、なんつーのも絵空事でね、そーいうコトにしといたほうが、ゲージュツ家やら詩人やらの何の生産性も持たん浮世離れした人種が幾らかでも高尚なモンに見える、ってだけの話よー。
へらへら生きてるうちにこんなモン出来ちゃいましたー\(^O^)/、って言うよりも、飲まず食わずで穴蔵に籠もり三年三月が経過して、おお、我が作品には魂が宿った!!
‥‥とか言ったほーがカッコイイっしょ。そんだけ。

思いつきの暴言じゃねーんだよ、同じようなコトはおおよそ2500年ばかりも前にオシャカさんだって言っとる。
オシャカさんは難行苦行・苦悩の果てに、そんなモンに大した意味はないと気付いたのだよ。
従って苦悩の必要性を主張するには釈迦に説法挑んで勝てなきゃならんが、おそらくお釈迦さんは議論に応じてはくれぬであろう。ニコニコ笑って聴いてるばかりである。馬の耳に念仏、南無阿弥陀仏(__)

はしゃいでる場合ではない。俺は詩人の本質を語るのだ。
何でかつったら、今日は休みだからだ。何で今日が休みだと朝っぱらから詩人の本質を語らねばならぬのか、謎は深まるばかりだが、、、、ヒマだからですね、多分(^◇^;)

では詩人とは何かと言うと、激情に身を委ねられるヒトだ。そんで魂の叫びを形に出来るヒトだ。そーして末端には眼もくれず本質をわしづかみに出来るヒトだ。
内容は問わない。
いーんだよ、愛を叫ぼーが怒りを叩きつけよーがそれが明らかな存在となりうる形を持っていれば、市井の恋唄だったって立派なアートだ。
もっとも逆に言やあ、それがどんな高尚な感情であれのっぴきならない苦悩であれ、中途半端に垂れ流してはイカン。そんなもんは詩じゃーない。

だもんで、詩人として生きようと思えばトコトン自分を掘り下げる必要があり、妥協や迎合で自分の心の叫びを押し殺さない覚悟がいるワケよ。
で、そーいう部分を貫こうと思うと、ハッキリ言って世の中の邪魔者になってしまう。社会の迷惑であり組織の不協和音であり家庭のデストロイヤーであり、、、、あ、デストロイヤーで思い出したが、俺、ガキの頃ミル・マスカラスが大好きだったんだぜ。何の関係もないが。

だけどね、詩人として生まれついたって、やっぱさ、ヒトとしてヒトの世に生まれちまった以上は人並みの優しさやら思いやりやら平和思想やら執着心やらひもじさやらよー、、、無視は出来んじゃんな。特にひもじさはな。
で、人並みであろーとする。と、詩人ではいられない。
詩人であろーとする。と、人並みではいられない。

そんで詩人であるか市井の若旦那‥‥若旦那じゃなくてもいーんだけどさ、であるかの選択を常に迫られて生きてるワケよ。しんどいんだぜ意外と。
シンドイから俺は人であるコトをやめて人造人間として、、、じゃなかった、ノラ犬として生きる道を選んだのですね。
「え?もとから野良犬じゃん?」とかそーいうのは置いといてな(^◇^;)

だけど詩人の本質を持って生まれ落ちてしまった一般人がさ、市井の若旦那‥‥若旦那である必要はナイ、ってさっき言った\(__ )、ともかくそーやって常識人として生きて行かねばならんとすれば、だ。
とどのつまり、ギリギリ胸の奥底で腐らせちまっちゃいけないスーパー大切な想いだけは妥協せずに、それ以外はうま〜く折り合いつけてやってくしかないワケでね。
だが妥協は自分への裏切りなのだから、どーやっても苦しいんだよね。
しかしそんな苦しみもまた、ありのままに受け入れて生きろよオメー、、、ってオシャカさんは言っておるよ(^^)

ハラハラと涙を流し
ヒラヒラと矛先をかわし
フラフラと街角をサマヨい
ヘラヘラとシリアスを受け流し
ホコホコと人を愛して
‥‥
やがて土に還る。




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  地球がいつかは爆発するんだと
  舌先三寸コロコロ転がして
  こっちの頭が爆発しそうだよ
  死ぬのが恐くて人が愛せるか
  大切なものが一つあればいい

  吉田拓郎 「お前が欲しいだけ」




三が日、あっという間ですね。
明日から仕事って人、どのくらいおるんかね。俺は5日まで休みなんですけど。
そのかわり祭日関係ないからね、成人の日とかも関係ない。
もっとも成人の日が祝日ってのも納得出来んものはある。

が、別にそーいう話がしたいわけではない。
言いたいのは今日あたり、全国各地に俺の年賀状が一斉に届いたであろうなぁ、と、そーいう感慨をこそ告げたかった。



俺ね、年賀状多いんですよね。
普段ホンットにヒトとつるんで何かすんのがメンドクサくて、余程必要に迫られない限り、誰ともわざわざ連絡取りあったりするってコトはないんですね。

何せ15で家出てからさ、オフクロが死ぬまでに15年あったんだけど、その間に家に顔見せたのが高校出た時とバーチャンが死んだ時と結婚した時の3回こっきりで、その間ろくすっぽ電話さえしたことないくらいで。
余りに連絡つかないんでウチの親は、どーしても俺と連絡が取りたい時には電報寄越してたくらいだからね(^◇^;)
‥‥もしかしてオフクロもオヤジもさっさと死んじまったのは俺のせいですか?(^◇^;)



だとするとトーチャンカーチャンには真にスマン話だが、こーいうズボラな性格は生来のものなので、余程自分で正す気にならなければ直るはずもなく、そんで俺が正す気になんてなるワケがない、そんなもん。
従ってボクは今でも、親友旧友・親類縁者、恩師にカミさんの実家に実妹夫婦に至るまで、相手から連絡来ない限り一切没交渉なのである。

だけどそんな野放図なボクを見捨てもせず、皆さん各位は年に何度かは、わざわざ電話代使ったり郵便代使ったりしてボクの近況を心配してくれたりすんですね。
ありがたい、申し訳ない。だから年賀状くらいはキチンと出しますね、ってワケで年賀状の数がいっぱいになるのだ。

だけどもそれにしたところで、ボクの賀状投函は毎年暮れの31日から三が日にかけてだから、結局感謝を込めた年賀状さえも皆様方各位からのが先にボクの手元に届くことになるのだが、まーそれはとりあえずもういいや。
よくなくってもどーにもならん(^◇^;)



以上、前振りでした(笑)
で、こっから今日の本題なのだが、そんな思いを込めたはずの膨大な年賀状なのだけども、年を重ねるに従って、ただ単にダラダラと賀状交換するだけ、って関係が増えてきているのも一方の事実なんですね。

そこへ持ってきてこのご時世でしょ。
お歳暮やお中元、暑中見舞いなんかの風習もスッカリ下火になった今、何ゆえ年賀状だけいつまでもいつまでも義理でも何でも出し続けねばならんのか!
と、そんなコトを年内にハッチーなんかとも話したのな。

ちなみにハッチーさんはこの数年、切れる相手はスパっと切って、膨大だった賀状のやり取りが何分の一かに減ったらしい。
俺もそうしようかとも思うんだけど、なかなか踏ん切りがつかないもんなんですよね。
これは俺の心の中に、例え薄い繋がりであっても手にした絆を失いたくない、って気持ちが働いてるものと見える。

だけどね、別に賀状云々に限ったことではなくさ、世の中、つーか自分の人生において、本当に必要なものって限られてるんですよね。たかが知れてる。

それなのにヒトは欲が深く出来てるからさ、たまたま運でも向いて何かが手に入り出すと、それが自分に取って必要なものなのかどうか見極めもせず、とにかく手に出来るだけ手にしてやれー、ってなっちゃってさ、そんで後になって無駄な荷物を背負い込み過ぎたオノレの愚かさ加減に気付きガクンと肩を落としたりするイキモノなのですね。
しかも重荷が増えただけではなくて本当に大切なものは失ってたりしてな、でも後悔してももう後の祭りってヤツですな。



「ほしいもの たくさんはない」
「本当に大切にしたいものはそんなに多くは
ないんだよ。」
「大切なもの」「大切にしたいもの」たくさんはないんだってよく思うんです。


これは友達のとあるブロガーさんの言葉で、このところボクらはそーいう話をよくしてるんですね。
また別のブロガーさんも年の瀬に当たり「大きな幸せは望まない、最低限の幸せでいいかな。」と申しておった。

そしてボクもこの二人の考えつーか価値観、すごく同調できて、すごく好きなんです。
とかくヒトは大事なものを見定めることが出来ずに、何が不安なのやら際限なく多くを手に入れたがるけど、そーやって何かで着飾って見たところで本当の自分の成長とは別物だと思うんですよね。
そりゃま、他人の目には自分が何割増しかには映るのだろーけど、それがメッキに過ぎんコトは自分が一番承知してるワケだしね。

こーいうのって具体的にはさ、金銭は言うに及ばず物品であってもそうだし、浅薄なだけの知識やら技術論もそうだろうし、交友関係にだって当てはまるでしょうね。

で、そーいうコトを真摯に考えて、本当に大切なもの「だけ」に価値を見いだそうとしてる前出のブロガーお二人はさ、やっぱり素晴らしく心の深いところを揺さぶる作品を見せてくれるんですよね。
一人の方は写真、もうお一方はイラスト系の絵なんだけど、二人の作品目にするたびに、やはりそーいう欲をかかない人柄が作品にダイレクトに反映されてるんだな〜、なんて思います。

創作活動ってのは何につけそうなのだろうけど、ある一定レベルまでは技術や知識の習得が大事なのは当然なのだけど、その先ってコトになると、個人の生き様とか観念とか人柄とかさ、そーいう部分の勝負になってきて、そんで人の心に感動とか呼び起こすのは、やっぱそーいう部分なのだろう、と。



本当に大切なものは少ないよね。
大切なものは一つあればいい。
それを見定めて、見失わず、しっかり守って行く、それだけでもヒトはきっと十分に幸せになれるんじゃないかな。

そんなワケでボクも今年は、長年の間に自分の身に染みついたゴテゴテした飾りを取り払い、裸一貫の人間性を高めるコトに重きをおいて行きたいな、と、年頭に当たり所信表明してみたり(^◇^;)

で、まず第一歩は、来年の賀状を減らすコトから始めよう、おー!

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やっぱ子供が中途半端にデカくなると、盆つっても大した賑わいはないなー。

長男が中学に上がってからこっちは家族で遠出するってこともなくなったし、末娘まで中学生になっちゃった今年に至っては、家族で花火さえもやらん。
墓は遠く長崎の地にあるし、帰る家も回る親戚もない天涯孤独のオトコと致しましては、仏壇祀るだけの盆だもんなー。

もう10年も経つと俺にも孫の1人や2人は出来て、子の帰郷を心待ちするよーになるんやろか?‥‥ならんでいいが(^◇^;)

だが、のんべんだらりの夏休みは俺くらいだと見えて、村内は子連れの里帰り家族と観光客で満ち満ちておるし、一方でブロガーどもは出入りが少なく俺の回りも深閑としておるようで。

ブロガーと言えば7月末あたりから俺の文筆量はモノスゲー。
サークル関係及びプライベートな事案でひーふーみーよー‥‥総勢7人ばかりのブロ友と連日に渡り鬼のように長文メールを交わしまくり、ほぼ連日当ブログに冗長駄文を投稿し、さらにここのところはコッチを上回る長文記事を隠しブログにアップしたりしておるから、一日あたりの執筆量は原稿用紙換算の20枚は余裕で越えておる。
「執筆量」とか言ってみたってもちろん稿料が入るはずもなく、しかも短く済ませれば、内容的には10分の1でもコトタリルのだ。
無駄に密度の濃い人生だー(^◇^;)



そーしてそんな流れの一つの結末として、今日という日は、青くまたたく星がひとつ、流れて過ぎた日でもありました。。。

「友が去った」と言えば言いうるが、ついの別れというわけでもない。
十分に語り明かし、再会を約した上での仮の別れだ。
永遠に出会わないのは山と山だけ、って言葉もあるし、ひとたび信を置き合った心には別れなど無い。
だから心残りはないものの、やはり一抹の寂しさは拭えない。

まー、人に対する思い入れが暑苦しいまでに強すぎるのが、俺の特質ではあるのだろう。
もっともどこまでが「思い入れ」でどこからが「執着」かと問われれば、、、、
問われたくない(^◇^;)
問わんでいい、そんなもん(^◇^;)

思えば6、7年くらい前、ホームページを開設してネット界に足を踏み入れてからこの方、幾つもの出逢いの傍らで、やはり幾つかの別れがあった。

そりゃー俺だって人間だからね、二度とツラも見たくねぇ、って、まー回線付き合いだから最初からツラは見てねーんだけど(笑)、そーいうものの一人や一人はおる。
ちなみにタイプミスではない(笑)
だけどそれは極めて稀な一例で、ほとんどの場合は「またいつか」を固く誓って手を振り合っての別離であった。
離合集散は人の世の常なのだから、出会いと別れは本来1セット、避けられないもの。せめて後味さえ良ければ、その出逢いは価値ある出逢いだったと言っても良いのではなかろうか。



それはもちろん、「またいつか」の約束が果たせれば言うことはないのだ。
守れなかった約束に意味はなく、果たせないままの約束は儚いばかりなのだから。
だけど現実は厳しいよね。

かつてフェンスシリーズの第3話あたりで(笑)、友との別れを語ったコトがある。
あの時のボクらの約束は本物だったが、あれから30有余年、約束は約束のままに潮風の波間を漂い続けている。
‥‥果たされる日はもう来ないかもしんない(^◇^;)
死んじゃったヤツもおるかもしらんしね(^◇^;)

だが一方で、サヨナラに試されるような絆も確かにあるよね。
幾多の別れを経てなお途切れない絆、それは別れを知らぬままの絆よりも強く尊くはないか。
ヒトはただその絆を手にするためだけに、当てもなく旅を続けるナマモノイキモノなのかもしれないね、うんうん。

‥‥それって腐れ縁と何が違うん?とかは言うな(^◇^;)
カッコヨク決めたいのだよ、今夜の俺は!


また一人 友をなくした
ほんの些細なことだった 私にしてみれば
いるだけで 心安まる
そんな優しい人だった 今にして思えば

仕方ないと俯いて 寂しそうに笑った君は
陽に焼けた大人の顔と 二人遊んだあの頃の
子供の顔してた

ー 「街路樹は見ていた」 アリス ー


記事タイトルは よしだたくろう「流星」 より(^◇^;)
 


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ヒトは楽しい時間の流れに身を置いてると、つい目的や方針や初心の一切がアタマから抜け落ちちゃって、ふと我に返った時に足場を見失ってる自分に気づき、呆然と立ちすくんだりするイキモノですね(^^)



かくいうボク自身、ガキの頃は遊びに出るともう時間も忘れて遊びの中に身を置いてね、真っ暗になって友達みんないなくなってから、我に返ってトボトボと家路を辿る。
辿るのだけど、晩メシの時間はとうに過ぎてるし、この間同じ状況だった時に町内スピーカーで安否不明の捜索案内を流されて、そうとは知らず川端をボケーっと歩いてるとこをどこぞのオヤジにとっ捕まって、家に連れて行かれて帰り着いたらアラ不思議、それなりに広い面積の我が町内の老若男女の雨あられ、実力者から権力者から聖職者まで、、、、それはつまり網元の家のオバチャンやら警棒かついだお巡りさんやらガッコのセンセやら坊サンやら‥‥坊サンはおらんかったかな?
ま、そーいうのの有象無象がこぞって家の前にタムロしておって、オフクロが麦茶なんぞ振る舞ってる最中だったりして、キョトンとしてたらいきなりオヤジに張り倒されてなぁ‥‥
畜生、クソオヤジめいつか復讐しちゃる!と思ったがあの世で逢うのはまだ当分先だな。
と思ったが盆だから帰ってくっかな、よし、今こそあの日の恨みつらみを固くこの拳に握りしめ‥‥ ‥‥

って、何の話してましたっけ????

‥‥えーと、だから、メシも忘れて遊び歩いて、気付いた時にはのっぴきならぬ状況下で途方に暮れる少年時代を過ごした、と。
いやまぁ、少年時代が終わっても青年時代も同棲時代も居候時代も新婚時代も、さらには信じられないコトだし信じたくもないしあり得ない気がするのだが50歳なんつーもんが手を延ばせば届きそうに近づきつつある昨今も、あまり変わらぬ日々を過ごしては来ましたよ。
ええ、ええ、恥多きオトコですから。
ここで新たに3つや4つ恥を上塗ったところで大勢に影響はありませんからー\(^O^)/

何言ってんだ、俺?



だからまーとにかくなんだ、ヒトは楽しさに巻き込まれると何もかも忘れて、知らず知らずに道を踏み外す。
で、ある日突然その事に、、、自分で気付く場合もあれば独り取り残されて気付く場合もあれば誰かに水ぶっかけられて我に返る場合もあろうけど、、、気付いた時にふと立ち止まり小首をかしげるイキモノなのですね。
「ん?何で俺メシも食わずにこんなコトしてるん?」みたいにね。

そーして自分の原点とでも言うものを振り返る。自問自答する。
こんなはずじゃなかった、こんなオトナになるはずでもなかった、俺の人生設計だとこの家だってもっとこう、でっかい煙突のある瀟洒な二階建てで、芝生を敷き詰めた庭には二羽裏庭には二羽鶏がいて、白いベランダの片隅にはベンガル虎が寝そべって、そして私はレースを編むのよ私の横にはワタシの横〜にぃは、あなーた、あなーた、あなたがいてほーしーいぃーーーーー

ってウルセーよ\(__ )
いつもウルセーが今日はいつにもましてウルセーよ\(__ )



まあそーいう葛藤が、ふいに消えたアオイちゃん始め、先日のMr.Jamesの独白や今回の紫陽花ムスメの隠遁等の根底にはあるのではなかろうか。
しかし自分の在り方に懐疑的であるというのは、自分こそサイコー俺サマ神サマ的な自惚れに支配されるよりも、そりゃ何倍も素晴らしい。
だって現状を否定するところから、進化は始まるのだから。

ちなみに俺がここのコメ欄閉じてんのもそのためだ。
原点に立ち返り、目的と標的をシッカリと見定め、新たな針路を定めるために、相応の冷却期間をおいておるのだ。ホントだよ。

ホントかな〜?(^^ゞ
まーそーいうコトにしておこう。この世の調和のために!

で、そこで揺らぎのない確たる自分を見定めるコトが出来たらば、心の闇路から抜けだし再び日の光の下にさらけ出されたオノレの姿は、一段成長を遂げまばゆいばかりに光り輝くオーラを身にまとったマサにこう、「天孫降臨!」みたいな気高くも美しいオノレであるかもしれないね(^◇^;)

だから頑張れ。自分を見失うな。真のアナタは素晴らしい。
多分!!!
うんうん!!(^^)




若いという言葉だけで 許されてたあの頃
歳を重ねれば確かに 悲しみが見えてくる
いつかは俺もと 呟けばまた寒く
臆病にならなければ 生きてゆけないのか

振り返れば冬の星 ベンチに寝ころびながら
こんな大人になるなんて これが私のステイトメント

少年Aに戻れたら 今さら悔やんでみても
こんな大人になるなんて これが私のステイトメント

ー 「 自分白書〜My Statement~ 」  アリス ー


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道端に当たり前のよーな顔して咲いているコスモス写真などアップしては、一部の方々に羨ましがられたりしている昨今ですが、正直申し上げて今の私は肌寒い感が強い。

どのくらい強いかつーと、朝起きてTシャツ1枚では庭に出られないくらい。
夜も窓開けてると寒さで目が覚めちまうんで、ここ3日ほどは締め切って寝てますm(__)m

そのくらいだから、出勤時にはGジャンはおって出掛けるのだけど、職場に着くと暑くて暑くて、駐車場から会社までの僅かな距離でも上着なんざー羽織ってらんねー。
で、ここで、意地でもGジャン着たまま出勤するか、あるいは車に脱ぎ捨てて行くか、いずれにしろビミョーに敗北感を伴う選択を毎朝強いられておるワケです。

いやぁ、山有り谷有り、夏あれば秋あり、楽あれば苦あり、ホント人生って遠大で信州って広大ですね!(゚∀゚)

‥‥バカかもしらん。

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さて、ネタも尽きたコトだし更新どーしようかと思ってたんですけど、このトコロとても気がかりな案件がありましてね。
コスモスも咲いたことだし、その気がかりについてひとしきりしゃべり倒したりなんかしてれば1記事稼げるよな〜、とか。。。
‥‥ま、コスモスはあんまり関係ないんですけどね。いや、イッコも関係ないんですけど。


まーともかくその、「この夏のとても気になる話」をやりますm(__)m
ダメと言われてもやりますm(__)m
いいから早くハジメロ。

え〜、今となってはこの記事が眼に触れるかどーかも怪しいもんだが、俺の心を惑わすのは他でもない、こないだ逃亡したあお‥‥もとい、Aちゃん、、、
おーい見てっか〜?オメーだよ、Aちゃん(笑)
、、、なのです。

あれはそう、まだ梅雨も明けやらぬ七月半ばのとある日曜日、、、、いや日付はテキトーなんですけどね(^◇^;)、、、一人の少女が、、、、いや性別はともかく年齢のほどは知りゃしませんがね、しかし俺より5つ以上若けりゃヒトは皆少女Aだ。世の中は少女がいっぱい。ついでに言うと俺プラスマイナス5年の範疇にあればミョー齢の美女で、5歳以上オーバーしてればオネーサンだ。そんで石野サンは幾つであれ天女だ。いいからもう黙れ。
、、、、、、とにかく一人の少女が家を出た。

‥‥違う違う、家を出たのは昨日紹介した「ひかりのまち」の2番の歌詞じゃないか。

♪わずかな荷物だけを 車の中につめこんで
何にも告げず逃げるように彼女 家を出た

ほらね(^^)v

いやそれはどーでもいいんだが、俺は気になって仕方がないのな。
少女Aはある日、ツイッターのアカウントを閉じブログのコメ欄を閉じひとたびは「ごめんね」的な記事を残したものの、やがて身の回りの全てに鍵を下ろし、どっか遠くへ行っちゃった。
もしかしたら琵琶湖だかどこだかで美味いモンしこたま食ってっかも知らんけど、それを知る術は俺にはないのだ。

で、俺がそんなAちゃんの現状を憂いて夜も眠れぬほどに気になって気になって仕方がないのかとゆーと、そんなことも全然ないのだ(^◇^;)

あの娘はまー、チョイと思い詰めるタチではあるが基本的に明るいヒョーキン娘なので、そのうちフラッと土産持って現れるに決まってるから、その時に俺は謹んで土産を二人分受け取ればそれでいい。
話くらいは幾らでも聞くが、基本的に心配はしとらん。

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そんじゃ一体何がそんなに気がかりなのよ?と問われれば、それはカレーライスにあるワケです。

‥‥
今、一瞬「え??????????」とか思ったっしょ?(笑)
話が見えないっしょ?(笑)
だがご安心あれ、ナゾは直ちに解けるであろー。


つまりこーいうコトです、
去り行こうとする彼女に向かって、俺がつぶろぐでメッセージ送ったのな。
根が律儀モノの彼女は、せめてそれには答えてから去らねば義にもとる、とか思ったと見え、おそらくはそのためだけにつぶろぐに登録してアカウントを取り、短い返事をくれたんですね。

だが、そのやり取りもどーでもいい。
問題はメッセージの内容ではなく、つぶろぐのアカウントそのものにある。

「つぶろぐ」つーのは、エキブロ限定ツイッターみたいなもんです。
で、ビジュアル的に発言主の区別がつくように、ツイッター同様自分を表すアイコンがつくんですね。
このアイコン、自前の画像も使えるんだけど、まーオマケ的なサービスなので、最初から用意されてるアイコンで済ますヒトが多いみたいね。
で、用意されたアイコンはヒトやら動物やらのイラストを中心に相当数ある。
そのほとんどが顔アイコンで、ユーザーの使用率が高いのもやはり顔アイコンのようだ。
‥‥これはまぁ普通そーだわな。基本的にはキャライメージなワケだから(^◇^;)

ところがボクが目にした少女Aのアイコンは、顔イラストではなく、数少ないアイテムものであった。。。。
俺にはさ、パッと見、指輪に見えたのよ!
で、それ見てさ、「あー、指輪かぁ。Aちゃんらしいな‥‥特に今はシリアスモード真っ最中だし、別れだとか約束だとかの、胸に募る多くの思いをまとめて託すためにわざわざ選んだアイコンなんだろうな〜オトメゴコロだなぁ〜」とか思ってシミジミしてたのよ、俺は!(^◇^;)

ところが数日経ってから気付いたの。指輪にしては何か配色がキモい。
で、よくよくよくよく眺めてみると、なんとコイツがカレーライスなのよ!!!!


食い物のアイコンは少ない上に選択画面でも真ん中あたりに位置してるからさー、Aちゃんってばわざわざ選んだのは間違いない(^◇^;)
今まさに俺らの前から姿を消そうと言う、決別ムードの時の中におって、シリアスなやり取りのためにわざわざ選んだアイコンが「カレーライス」!!

なんじゃこの違和感は。(^◇^;)
ゴルゴ13を呼び出す曲が賛美歌第何番だかじゃなくて「踊るポンポコリン」だった、みたいな残念感。。。。
しかもカレーのくせして「今の私にできることは‥‥」とかシリアスすな(^◇^;)


俺は思う。
アイツな、絶対こう、思い詰めた迷えるオトメの振りとかしながらな、アタマん中にゃ晩メシにカレー食うコトしかなかったんだぜー(笑)

と考察してはみたのだが、当人は霧隠才蔵のように雲隠れしてそれっきりだから、今のところ事実の確認のしようがない。
しかし俺としては気になるワケよ。
アソコで強いて「カレーライス」選んだその真意は????
もう考え出すと毎回茶を吹くし、気になって気になってこのコトが四六時中頭を離れないのな、今も(^◇^;)
オトメゴコロも困ったもんだ。

よってAちゃんに告ぐ、Aちゃんに告ぐ!
もしこの記事を眼にしたらば、ナイショのメールでも何でもいいから、もちろんつぶろぐ使ったっていいから、カレーライス選んだ理由だけでも教えておくれよー。頼むよー。
テンペイの安眠のために!!!

IMGP9823.JPG

ところで庭ではようやく紫陽花が咲きました。あおいヤツです。
そーです、「あおい」繋がりです、ちゃんちゃん。


浴びるほど酒を飲んでいた 浴びるほどの陽の下
浴びるほどのおしゃべりと 友達の輪の中
でも気がついたら 浴びるほどの愛をくれた
まばゆい瞳のあいつが 突然いなくなっていた
ー 甲斐バンド 「ひかりのまち」 ー


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