全部だきしめて。

オトコ心とアソビ心のPhoto&Essay、ついに統合エディション!‥‥とか

っらっしゃーい(^O^)/
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はい、週刊「オトコの生き様くっちゃべり」のお時間がやって参りました(笑)
誰が見てようが見てなかろうが知ったこっちゃねー(^◇^;)

唐突だが、思えばこの世の全ては旅に似ている。
急く旅、当てのない旅、様々な小さい旅を繰り返してるよーなもんだ、人生なんて。

いや「人生なんて」って吐き捨てるほど生きることに疲れてるとか、そんなコト全然ないんですけど。
俺は毎日、”ほぼ”楽しいが、週末ともなるとそりゃーもう完璧に楽しい。何せ自由だ。
‥‥あー海に行きたい。
最寄りの海まで車飛ばして3時間くらいか?メシ食わせてくれる漁師町がいいんですけど。
そんで財布の中身スッカラカンでナナコカードっきゃないんでセブンイレブンないと困るんですけど。

って、そんなコトはあくまでも俺の個人的都合だからどーでもいいのだった。
まーそーいう妄想に浸れるほど、予定のない週末は楽しいってコトだ。
もっとも今は寒すぎて、その気で眠りについても朝フトンから起き出せん。

が、若い頃は、、、、うう、「若い頃は」とか言うオトコにだけはなりたくなかった‥‥。
まだバーチャンの半分しか生きとらんのだから俺は十分に若いハズ‥‥言い方変えよっ(^O^)/

えーと、愚かな青二才でハナタレで若造でケツの青いガキだった頃は、、、、いや、そこまでどーしようもなくはなかったと思うんですけどね(^◇^;)、、、、何にせよ少年期から青年期にかけての紅顔の美少年だった頃のハナシよ、あーもう。

その頃はさ、ロクスッポ金も持たずに当てもなく野宿繰り返しながら見知らぬ土地をぶらついたりしてさ、ただ単に無計画で無鉄砲で当てずっぽうに生きてただけなんだけど、そんなコトで世間一般の同年代の学生サンたちよりも濃密な時間を過ごしてるよーな気になってたんだから笑える。

例えるならばよ、波の荒れた日に船旅することになって、ちゃーんと二等客室か何かの切符持ってんのにさ、人々が客室で静かに横たわってる中一人だけ甲板に陣取って、波かぶりながら「おー俺は嵐の海に立ち向かうハードボイルドなオトコだ!」とか吠えてほくそ笑んでるよーなもんで、ただの自己満足、つーよりももはや勘違い。

それが証拠に、ひとり旅繰り返した挙げ句俺の身についたモノと言えば、野良犬が一匹出来上がったばかりである(笑)
「旅は人間を育てる」とか「人は誰でも旅に出て一人で生きることを知る」とか「人は誰もただ一人旅に出て人は誰も故郷を振り返る」とか、ありゃーウソだね。
いや、ウソとまでは言わんがヒトによりますね(^◇^;)
少なくとも俺には当てはまらんかった。

などと今でこそ思うのだが、今さら思ってもいかにも遅い(^◇^;)


しかしまぁ、放浪した時期ってのは確かに人生の縮図的な部分はあって、山ん中の一軒家でオバチャンにメシご馳走になった上に袋いっぱいの生のシイタケもらって持て余したり、晩メシ食いに入った喫茶店のオバチャンが野宿先に毛布とオニギリ差し入れてくれたり、束の間の邂逅に厚い人情を存分に感じさせてもらい、だがあの愛すべき人々とはおそらく二度と巡り会うことはない。
「お世話になりっ放しで行きます」って、マサに俺的人生の縮図ではありました。

巡り逢い、触れ合いを繰り返す中で、得たものも多く、だけど失ったものも同じくらいに多い。
‥‥「ミヤゲに持ってき!」って渡されたビニール袋いっぱいのシイタケ、どうしようもなくて捨てちゃったんだよねー(^◇^;) 借りた傘は途中で壊しちゃったし、、、30年過ぎた今でも心苦しく思ってる(^◇^;)

でもね、身軽じゃないと、旅って続けられないんですよね。重荷を背負いすぎると腰を落ち着けざるを得なくなる。

もしも人生が旅ならば、落ち着き先を探して転々としているうちが最も幸せで、居着いてしまえば終わりなのかもしれませんね。
旅の目的が旅を終わらせるためにあるのならば、ね。

‥‥俺に限っては目的地に辿り着かないための旅なのかもしらんが(^◇^;)


   長い旅の途中で失うものばかり
   気まぐれな風が吹いても 強く生きたいのさ

   駆け抜ける今こそ あの頃を忘れずに
   限りない自由を 捨てた夢と引き換えに

       ー 「ROAD」 ハウンド・ドッグ ー



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明日は仕事始め、毎度のコトながら休みの過ぎるのは早い。
休み期間中思いっきし夜更かし・うたた寝グセがついちまって、スッカリ睡眠不足の日々に戻ってしまった。
そんで毎晩毎晩ミョーな夢ばかり見てた。

全部が全部覚えてるワケじゃないのだけど、夢日記でも付けようかつーくらいキショクワルイ夢のオンパレードだったんですよ。

な〜んか、雪道を二輪で峠越えしてたら後輪がパンクしちゃってさ、ズルズルで全く安定しない二輪押しながら峠を越えたらあるはずのGSがかき消えてたりさ(^◇^;)

ハタマタ何故か俺、殺し屋に命狙われてて、帰宅して風呂に入ろうとしたらバスタブの中に3匹の子ワニが潜んでてソイツらと格闘になったりさ、もうしっちゃかめっちゃか(^◇^;)

そして休みもどん詰まりの昨夜、猫が交代で「外に出せ〜」「家に入れろ〜」ってうるさくて4時頃まで眠れなかったんですよね。
ようやく寝入ったところで、昔の仲間の夢を見た。
バンドやってた頃の運命共同体だった仲間達の夢。

ホームだったライブハウスで久し振りに再会の宴を張ったんですよね。
そしたらさ、歳食ったの俺だけで、あとはみんな当時のままの若さでやって来やがんのな(^◇^;)
そんで皆でテーブル挟んで固く握った拳を突き出し合って、「さあ、20年前の約束だぜ。見せ合いっこだ」とか言うんですね。
俺も成り行き上拳は出してみたんだけど、その約束って何なのか全くもって記憶にない。
で、みんな順繰りに手を開いて見せる。
その度に他の連中の「おおー」とかいう歓声が上がるのだけど、目の前のボトルが邪魔して俺のトコロからは皆の手の中が見えないんです。

だけど何かスゴいもの出し合ってるワケです。
もちろん俺の手は空っぽなんだから、これは手を開くワケにはいかないな、って思いまして。
だってさ、みんなに軽蔑されそうでそれもイヤなんだけど、とりあえず俺がアタマ張ってメジャーデビュー寸前まで引っぱって来たバンドのメンツだ。ほんの数年ではあっても、人生を賭けてもいいくらい俺を信じてくれた連中だ。その正体がこんな空っぽのオトコだったかと思ったら、みんなガッカリするもんねー。
空っぽの手を開いて皆を失望させるのがイヤだったんですね。

で、最後の最後に俺の番がやって来て、みんな俺が一番いいもの出すと思ってるらしくて、目をキラキラさせて盛り上がってんですね。。。

んで俺、覚悟を決めかねてたんだけど突然立ち上がってさ、「バッキャロー、津波がそこまで来てるってのにオメーら何やってんだよー」とかワケのワカランこと叫びつつ隣にいたギターの頭を握ったままの拳で殴りつけましてね(^◇^;)
そんでそのままテーブルに飛び乗って「みんな早く逃げろ」‥‥つった瞬間に手開いちまいまして(^◇^;)

そしたらさー、手の中からピカピカに輝くコインがジャラジャラジャラジャラ、もうサイババの壷かよっ、ってくらいに際限なくあふれ出て来ましてね、みんな大喜びではしゃぎ回ってるちにそのコインがどんどん店内を埋めて行きまして、もう床上浸水状態よ。
身動きもとれなくなって誰かが「Dai、もういいよ、もう分かったから止めろ止めろ」とか叫んでんですけど、ダメ。

そんでとうとう顔まで埋まって息できなくて眼が醒めた(^◇^;)


ま、それだけのコトなんだけど、眼が醒める瞬間に思い出した。約束は20年間に掴んだ夢を見せ合うってコトだったんだって。

みんな紆余曲折の人生送ってきたんだろうけど、これが自分の頑張りの証だって胸張って見せられるくらいの相応な夢は手にしてたんだろうね、きっと。

俺だけが何年経っても何一つ手に入れるコトが出来ないままなのに、それを恥じて空っぽの手をさも何かありそうに見せかけて、みんなの夢の象徴でいようとしてたんだな〜、とか考えて悲しくなっちまいました(^◇^;)

結局それって回りまで巻き込んで自分の首締めただけなんだけど、んでも最後まで欺き続けたコトで嘘も真実になったのかもしんないですね。とりあえず失望はさせずに逃げ切ったワケだからさ。

って、逃げ切ってねーか(笑)


  握り拳の中にあるように見せた夢を 遠ざかる誰のために振りかざせばいい
  ‥‥ ‥‥
  もう2年 もう10年 忘れ捨てるまで

       ー 中島みゆき 「歌姫」 ー




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かつてその人は僕の頭を撫でながら言った。
詩は魂の叫びであると。心の叫びであると。

言葉ってヤツは誰にでも使えるようでいて、実は手にあまるジャジャ馬のようなものだ。
「てにをは」が使えさえすれば説明は出来る。
それなりのボキャブラリーを持っていれば装飾も容易である。
あとは起承転結に則った構成の基本さえ踏み外さなければ、森羅万象の全てを言葉で説明しきるのはさほどの難事ではないのだ。

だが、言葉に心を持たせようとすると、途端に言葉は暴れ始める。
それを御せるものだけが詩人となりうるのだろう。

かつてその人は「石竜子」という号を持つ詩人であり、「雀童」と名乗る俳人であった。
地域に埋もれた小さな伝承を集めてはまとめる作業の傍ら、国語教育の研究に没頭してもいた。
興に乗ると、断片すらも分かるはずもない洟ッ垂れの悪童だった僕に「小泉理論の問題点は‥‥」などとひとしきり持論をぶち上げるのが常だった。

日常生活に必要な知識は見事なまでに欠如していた。
教科書の編纂会議に出席し大層なギャラをもらったと言って、嬉しそうに家族を高級料亭に連れて行ったはいいものの、支払額を聞いて蒼白になったこともある。
家族友人、総勢10名近くに大盤振る舞いをしておきながら「5000円もあれば足りると思っていた」と呟くような男だったのだ。

家計はいつも火の車だった。
家賃800円、隙間から隣の家がのぞける安普請の長屋に住み、米にも事欠きウドンばかりで半月を過ごすことさえ珍しくはなかった。
僕は友達が皆持っていたラジコンカーさえついに手にすることはなく、子供向けの本も与えてはもらえず、その人所蔵の文学全集や古典文学を眠れぬ夜の友とするしかなかったのだった。

晩年ようやく建てた家も、数年後にはローンを払えず売り飛ばし、老後は街外れの安アパートで一人余生を送ることとなった。
飄然と、と言えるほど達観していた風もなく、ただ生来の気位の高さから、一切の弱音を吐くこともなく淡々と日々を送っていた。

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やがて血液の癌を発病し、「5年生きた例もあります」と慰めとも最後通告とも取れる診断を受け、副作用の著しい放射線治療を続けながら、それでもなお、詩を、文を書くことだけは止めなかった。

最後となった正月、僕宛てに届いた年賀状にはただ一句、
「生きてそろ、なお生きて候、春を見ゆ」
とあった。

その年の8月13日、奇しくも盆の入りの日、その人は帰らぬ人となった。
僕はその報せを、単に見舞いのつもりで帰省する途上の高速のSAで受けた。

翌日、照りつけるような日射しの中対面したその人の亡骸は、かつてその背を追って走った記憶からは想像も出来ないほど小さかった。

後には借金だけが残った。
形見と呼べるほどのものは何もなく、ただ、死の当日まで小さなノートに書き殴り続けた幾篇かの詩が、今も僕の手元にはある。



ある日突然 届いた報せ
親父がこの世を 去ってしまったと
故郷に向かい 車走らせて
着いてもあなたは 歌ってくれない
愛という名の 目隠しのために
あなたを寂しく 逝かせてしまった

オールマン・リバー 心の叫び
今も 今も 忘れない ‥‥

ー アリス 「ハドソン河」 ー

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  セピア色の写真 二人ふざけたウェディング・ドリーム
  少し照れてうつむくおまえ ソッポ向いたままの俺

  壊れてく日々の中で おまえが見たエンディング・シーンは
  Happy? それとも Blue end? 今は知る術もないけど‥‥

                ー 「With me」 by Dai ー


東北本線K駅。かつて一度も降りたことさえなかった見知らぬ街。
そこを別れの場に選んだのは、それぞれの住む街の中間点に位置していた、それだけの理由だった。

二度と交わる日は来ない二人ならば、最後の時間は全てに対等であった方がいい。
どんな行為も、もう「今度埋め合わせする」ってワケには行かないのだから。

K駅の改札付近で午前10時に待ち合わせた僕らは、ヨシナシゴトを語り合いながら見知らぬ街を闇雲に歩き続けた。

数年ぶりに見る彼女はすでに二児の母となっていたが、子供を連れていなければ、出会った頃の17才の少女そのままに見えた。
いや、幾らかほっそりとして綺麗になったか?
幸せであればそれでいい。


話はすぐに尽きた。
別れてからのそれぞれの暮らしぶりなど、どれだけ語ったところで、それを知ることに大した意味はない。
僕らは黙ったまま、街を歩き続けた。
幾年ぶりに二人だけの時間に身を置いている、その、すぐに終わる束の間の充足感の前に、言葉はそれほど必要ではなかった。

「映画見よっか」
突然、弾けるように彼女は言った。

二人で最後に観た映画は「ラスト・ソング」。
2年ばかり前に音楽活動をやめ普通のサラリーマンになり、そして数日後には東京の街を遠く去ることが決まっていた僕には、胸が詰まるストーリー。

結局、僕らは、エンディングを観ないままに映画館を後にした。
そして再び、梅雨の晴れ間の風渡る中を、人気のない路地を選んでは歩いた。
思えば路地裏で生まれ、路地裏で育てた愛だった。路地裏の風に消えて行くのが似合いのラスト・シーンに違いない。
僕は自分に言い聞かせるように、頭の片隅でそんなコトを考えていた。

「ねぇ、‥‥腕、組んでもいい?」
口ごもりながら、意を決したように彼女は言った。言った時には彼女の腕は僕の中にあった。
昔、こうして寄り添って、幾つもの道を二人で歩いた。旅にも出た。
否応なく想い出が込み上げる。

街角のビルのショー・ウィンドウが時折り写し出す僕らの姿は、あの頃そのままの仲の良い恋人同士に見えた。
何も変わっちゃいない。気持ちさえも変わっちゃいないのに、二人の時間はいつから違ってしまったのだろう。

「ハタから見れば熱々の恋人同士に見えるだろうな」
茶化すように僕が言うと
「‥‥ありがとう」
彼女は小さく答えて、それきり黙り込んだ。

やがて遅い夕暮れが訪れ、別れの刻。K駅ホーム。
彼女は北へ、僕は南へ、そうして電車が動き出したら、二度と会う日は来ない。

電車は僕の方が早かった。
乗り込んだ車両の乗降口を挟んで、僕らは無言のまま重ねた視線をそらすことが出来ずにいた。

「もういいよ、自分のホームに行けよ。乗り遅れるぞ」
僕が促す。
「じゃ、私行くね。振り向かないからね。‥‥向こう向いててね」
言いながらも立ち去る気配のない彼女に向けて、僕は小声で呟いた。
「サヨナラ」
かつての二人の関係で、どんな別れの時にも互いに決して口にしなかった最後の言葉。

彼女はハッとしたように眼を見開き、抗うように、念を押すように
「また、ね!」
と言ったが、僕が答えに詰まるうちに、発車のベルが鳴り、ドアは閉まった。

電車は一つ身震いすると、絡み合った二人の視線を引き離すように唐突に動き出し‥‥、彼女の姿は瞬く間に視界から消えて行った。

時に1994年、出会って13年目の夏。長い祭りが、こうして終わった。

‥‥なんか流行っとるね、線路関係(^◇^;)





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  君は優しい言葉を求め 僕は無口な愛を信じた
  不確かな毎日だったけど 優しげな嘘はつけなかった‥‥



地下鉄東西線早稲田駅徒歩5分、木造モルタル2階建て、四畳半一間流し付き風呂ナシ、共通玄関、共同便所。
ボクが18から22までの4年余りを過ごした部屋。
立て付けの悪い木枠の窓は、バスが過ぎるたびにガタガタと鳴った。

一つ目の冬、火の気のなかったボクの部屋は、この窓からの隙間風で路地裏と変わりない寒さの中にあった。

月に2、3度、彼女が部屋を訪れる。そりゃぁラブラブ・ムードよ。なんせ青臭い時代の恋物語だかんね。

だが、いかにラブラブの二人でも寒いものは寒いのだ。
俺もガキだったから、まだ「心頭滅却」の境地には達していなかった。
今ならばOKよ、タチドコロにコタツとかストーブとか買いに行くくらいの境地には達しておるよ。
だが、当時は暖房よりもメシ代でアタマがいっぱいだったからしょーがない。

でもやっぱ、カワイイ彼女はもてなしたいっしょ。オトコとして。

そこで俺は考えたワケです。

部屋の入り口の申し訳程度に設えられた流し脇のスペースには、ガスコンロが置いてあった。
つーか越してきた時に、いの一番に買ったのだ。丸いヤツな。
自炊なんぞは念頭になかったが、コーヒーだけはいつでも飲みたいじゃないですか。医者に行かんでも死にゃせんがコーヒー飲めないと俺はタチドコロに死ぬであろー。

だもんで、確か¥1800だったガスコンロと派手な笛吹ケトルのヤカンと、デザインが気に入ったコーヒーカップだけは揃えたのだ。
‥‥大きい声じゃ言えないが、カップはペアだぜ(^^)v 久しく眼にしてないがどこ行ったんやろか?‥‥あー、片っぽ割れたんで捨てたんだっけ?
‥‥いや、「ブルー地にカモメが飛んでるペアの!コーヒーカップ」はどーでもよくて、重要なのはお湯が沸くとピーピーうるせぇ笛吹ケトルである。

今にして思えば湯沸かしポットでも買えばよかったのだが、そんなものは結婚するまで存在さえロクに知らんかった‥‥
まぁ、ヒトんチに遊びに行くとどこにでもあったんだが、あんなものを部屋に置くのは俺の美意識ってヤツに反するのだ。
そもそもコーヒーってヤツは例えインスタントであれポットの作り置きのお湯なんぞで‥‥いや、そーじゃなくて、暖房のハナシよ、暖房の!

そんで俺は考えたのよ。カノジョを凍えさせない方法を考えたの。
笛吹ケトルの蓋を取るっしょ。ピーピーうるせぇ注ぎ口も跳ね上げるっしょ。そんで水を満タンに入れてコンロにかける。もう火力全開。

やがて水はお湯に変わり、ついには沸騰して水蒸気へと変貌を遂げるであろう。
それは白く生暖かい霧となり、狭い狭い狭い四畳半のスペースをタチドコロに包みこむであろう。
おー、これはラッキー。もはやストーブなど買わんでいい。この世の終わりまで買わんでいい。

で、とある真冬の日に実行に移したのだが、失敗だった\(__ )

なんでかつーと、温かい水蒸気はみんな天井に行っちゃったからだ。
ラブラブなボクらを包み込む頃には梅雨時の霧雨みたいなキモチワルイ湿り気を帯びてちっとも暖かくなかったのだ。
ってか、着てる服も湿り気を帯びるから、そこに隙間風が入ってくっと、むしろ寒さは募った。。。

やむを得ずボクらは、ボクが高校で寄宿舎生活を送ってた頃から使ってた安モンの毛布に二人仲良くくるまり、四畳半の壁際で膝を抱いて時を過ごした。
毛布は1枚こっきりしかなかったから、二人で使うためには横並びするしかなかったのだった。
要するにボクらは、お内裏様とおひな様みたいな体勢で甘い愛を語り合‥‥合えねーよっヽ(`Д´)ノ
な〜んで押し入れのフスマ見ながら木曽の野宿旅の思い出話とかしてんだよ、俺はよっヽ(`Д´)ノ

だがキスするには楽だった(*^^*) なんせ肩に手を回すだけでいーんだぜ(*^^*)
‥‥その先の成り行きに関心は持つなよ。俺は巷で囁かれてるほどやらしくはないのである。

問題はね、水蒸気暖房のせいで、その夜の布団が湿りきって、重く冷たく夜を痛めつけるコトにあったのな(^^ゞ

カノジョよスマン、若気の至りと許してくれい、、、、と、この場を借りて詫びたい。
29年振りの秋の夜に、オトコは一人呟いてみたりするのであった\(__ )

  ふたり暮らしたアパートメント
  今はどんな人が暮らしているのか
  手探りだった想い出の日々
  些細なことで喧嘩もしたね

  君は優しい言葉を求め 僕は無口な愛を信じた
  不確かな毎日だったけど 優しげな嘘はつけなかった 

  ‥‥‥‥‥‥
  あれから君はどうしているのか 知る術さえも今はないけど
  時が来て葡萄の実が落ちた 肌寒い風が吹き抜けてた
  ‥‥‥‥
    ー 「葡萄の実」 アリス ー





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