全部だきしめて。

オトコ心とアソビ心のPhoto&Essay、ついに統合エディション!‥‥とか

っらっしゃーい(^O^)/
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この記事を持ちまして当ブログ、「完」ってコトにしたいと思います、はい。
同時に「風Photo」も終わります、はい。
Twitterも本家・影ともに終わりです、はい。

ぶっちゃけワタクシ、この夏あたりから、なりすましの被害にあっておりましてね。
まーそんなに俺のフリせにゃいられんほどに、俺ごときに憧れ焦がれてくれちゃってるヒトがおったのね、とか思えば面映いやらこそばゆいやら、何だか照れないこともない(笑)

が、しかしこの世に俺はひとーり!
孤独なロンリー・ガイとして風の中歩ってんだからよ、俺は二人もいらんのよ。

よしんば!
…おー、最後ともなると表現がブンガク的に大上段だが、よしんば!!
俺が二人おったとしてもよ、陰でコソコソ俺の電番とフルネーム(笑)と友だちとのやり取り専用のメアド使ってよ、
アッチの出会い系やらコッチのギャンブル系やらソッチの投資系やらに登録しまくるよーな、性格のねじくれ切った二人目はいらんのな。
仕事を半分受け持つのなら、可愛げもあるってもんだが。


ここでぶっちゃけておくが、俺は軽はずみに見えて、実は相当に用意周到なオトコなんですね。
電番はケータイも家電も2つずつ持っとる。なぜか名前も3つある。メアドに至っちゃ18もある!
…威張るこっちゃないが(^o^;

だからね、漏れた情報がそのあり得ない組み合わせであった場合、出処って容易に分かっちゃうんですけどねー。
バレてねーと思ってんだろうね、マヌケめが(笑)
しかも正確な情報は俺のほうがより握ってたりすっから、やられたコトやり返すのは簡単なワケですよ。

だが俺は、友でもなけりゃ仲間でもないソイツなんぞのコダワリよりも、オノレの生き様のほうが遥かに大事なオトコですからね、そんなセコい世界に付き合って自分を貶めんのはイヤなワケです。

ってなワケで噛み合うのは大いなる人生の無駄足だから、スパっとうっちゃっといて先に進もうかな、と。

ま、腹立たしいのは腹立たしいからよ、庶民の義務と致しましても、警視庁サイバー課だかに被害届っくらいは出しとこうかと思います、はい。俺がスルリとかわしても、また別の誰かが対象にされんとも限らんしね。

…当局は昨今ネット被害に神経尖らしてるからねぇ。俺の側に十分な証拠が揃ってる以上、家宅捜索くらいは直ぐ行くやろね。PC抑えられてログ調べられりゃ逃げ場はあの世くらいしかないね。ゴシューショーサマ。
…哀れだから止めといてやんよ(笑)

が、まー、ケチ着いた名で活動してくのも気分悪いし、エスカレートしてって付き合いの深い仲間んトコに俺の名で変なコメとか入れたりされっと収拾つかんくなるしよ、被害拡大を防ぐ意味でも、ここらで盛大に腹掻っ捌いて、向後の憂いを断っとくべきか、と。

そんで、義経はジンギスカンになり西郷どんは西郷星になるワケですよ、コレが。イエィ。


と、何だか大変唐突でもあり駆け足でもあり、何の余韻もありゃしませんが(^o^;
終わりのための終わりではなく、旗を受け渡すが為の終わりの一文、ここに記す。
…どーいうワケか戦国調(笑)

んじゃ、また、どっかで。バイバイ(^.^)/~~~


テンペイ




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‥‥デカい風、吹かんかなぁ。ちっちゃい風に一喜一憂はしたくねーんだよな。
デカい風車はデカい風で回るもんだし、オトコの真価は烈風の中でこそ問われるもんなのだ。
知らんけど!

ともあれ、大人として歴史を織りなす一糸となるより、男として生き抜くコトをオノレに誓った以上、安息なんてクソクラエだ。
って、風Photoを、まんま「安息」でストップさせちまってる分際で吐き捨てる台詞でもねーですけどね。

だがしかし、オトコでありたい。いまわの際までオトコで在り続けたい。そんで死ぬ時はオトコで死にたい。
そーでなければ、この半生、どーしようもない野良犬みてーな俺ってヤツに信を置いてくれた人々への、愛すべき人々への、申し開きってヤツが立たんではないか。

そう自分を鼓舞してはみるものの、何なんでしょう、ここ最近の気力の萎えは。
世の中全てをあきらめたような、熱血とはほど遠いこの心身の喪失感は。

唐突だがニュートリノが光よりも速いコトが証明されたが、だからつって、俺が18の頃に戻れるワケでもなければ、逝っちまった連中がひょっこりお帰りになるワケでもない。
そもそも、ヒトも歴史も過去には戻れぬが故に、ヒトは明日を見据えて後悔のない今日を送るのだ!過去に触れられるものならば、何で俺は今日までこんなに、全力でもって悔いを残さぬ日々を突っ走って来たのであるか、けっ。
‥‥とかね、そんな気持ちになっちまって、とんでもない歴史的大発見を耳にしてさえちっとも胸がトキメかないのな。

こーいうコトは俺にゃ珍しい。
体調は崩してんのな、もうずっと。
だけどもともと、精神は肉体を凌駕するのだ、ヒトは魂で生きておるのだ、との信念で出来てるオトコだからよ、体の不調くらいで精神が萎えるコトなんてない。
ちなみに俺は理系のヒトじゃーないが、だからつって文系のヒトでもないよ。
路上に生を刻む一介のアーティストであるのだ、うひゃうひゃ。
詩人と呼んでくれ、うひゃうひゃ。

そんで気忙しい日々でもあるのな。仕事もそーだが、一身上も色々と慌ただしい。
が、そんな時は尚更、疲れなど感じず昂揚気分で、、、つーよりは逆上気味に、盛り上がったまんま行っちゃうタチでもある。
よって、昨今の気力の衰えが、我が身ながら腑に落ちん、と言うのが率直な気持ちではありまして。
しかしながら腑に落ちんからつって何かが解決するでもなく、ただただ無気力に布団に潜り込んじゃiPadで青空文庫とか気まぐれにめくってよ、そんで先週は「フランダースの犬」読んだ(^◇^;)

多分40年ぶりくらいに読んだんじゃねーかな?‥‥そんでエンディングでまた泣いた(^◇^;)
齢五十も秒読みに入って、まだフランダースの犬で泣けるとは、おー、俺は今もかろーじて詩人だ(^◇^;)
従って俺を一般常識で縛るべきではない、うひゃうひゃ。

いや、そんなこたーどーでもいい。
そこで一挙に幼少時の記憶が蘇って来てさ、ま、どーでもいい記憶ばっかなんだけど、その中にふっと、不審な記憶があった。

多分、昭和40年代前半あたりだと思う。
故郷の地にね、河上で暮らしてる人々がおったのですよ。
ボクの故郷は離島だからさ、土地は貧しいが掘っ立て小屋程度であれ、家屋を持たぬ民はおらんかった。
そんで漁業が基盤の土地柄であるから、海とは密接であったけれども、河ってのはあまり生活に密着した場ではなかったのな。
そもそも「河」って呼べるような河はなかった。カニしかいない岩ゴロゴロの幅数十僂両川とも呼べぬ川しかなかった。海に流れ着くほんの僅かの区間が、ようよう舟を浮かべられる程度の川幅と水量を保っているばかりであったのよ。

そーいう河口の場にね、イカダを係留してさ、暮らしている人々がおったワケです。
学区つーものはシッカリ定められておったし、さほど大した人口でもないから、自分の学区内の土地に顔も知らん同年代のガキンチョなんかおらんハズなんですね、本来。
だが、イカダの上の人々はちゃんと家族連れで生活しておる。イカダの上で女の子が洗濯物干したりしておる。男の子がコッチ見据えたりしておる。
声をかけてみたいが、あきらかに陸の住人を拒絶するオーラがありありと出てもおる。
いったい、あの人たちは何なのか?

とか、子供心にも思ったもんですよ。センセイにも聞いた。が、口ごもるばかりで明確な答えは返ってこんかった。
ただ、あの子らはどこの学校にも行ってないし、あの人々らは戸籍ってヤツもないし、関わり合ってはイカンのだと、何となくそーいうコトを知ったのみであった。

同じように学区内の土地に生活していながら、基本的に全く交流がなく、確かにいるはずの子供らの姿ををガッコでも街中でも街外れでもまるっきり見ることもない集落ってのは、他にもあったのな。

それを語る前に、ボクは根幹に全くもって人種差別的な思想は持っておらず、ってかそもそも根本的に、ニンゲンなんてツマラン存在であって、持てる能力も五十歩百歩のドングリの背比べでよ、だから誰のコトも軽蔑もせん代わりに尊敬もしとらん、ゴーマンなオトコです。(^^)
霊性の高いもののみは尊敬しますけどね。でもその霊性とやらを測る術は持ってねーんだよ、困ったね(^◇^;)
そもそも霊性とはなんぞや?霊格とは?エクトプラズムとは?
ヒトが魂で生きるものなら自我は不滅のものなのか?そもそもユーレイはおるのかおらんのか!!!?
俺はUFOはちょくちょく見るし、幽霊も見たコトある。だが多くのヒトはそんなもんおらんと言う。
ホントか?おらんコトの証明も出来んままにおらんと決めつけちまっていいもんなのか?
オメーら物欲にまみれて地ベタばっか見て金の勘定ばっかしてっから、融通のきかん世界に閉じ込められてるだけじゃねーのか?えーおい、そこんトコどーなんよ!!

イヤそーじゃない、そーいうコトを声高に追求したい気分ではない。
どっちかといえばオムライスとか食いたい気分だが、それもひとまず置いといてよ、しかし妻を娶らば才長けてなくても全然いいから、オムライスを美味しく作れる女性がいいな、ボク(*^^*)

イヤだから要するにボクはね、たかが五十歩百歩の能力やら持って産まれた環境の差異やら家柄やらで優劣を語るとか、それがそもそもナンセンスよ、ヒトには向き不向きがあるだけよ、たかだかサルより毛が3本多いだけの存在よー、アンタとワタシの違いは単なる遺伝子コピーの誤差レベル〜、、、って主義のニンゲンであるから、ボク自身には何のこだわりもないが、地域によってはとてもナイーブな問題だから回りくどくなった。
そこは、ってのはイカダの人たちとは別個の交渉のない集落のコトな、そこは、いわゆる同和の部落だったのよ。
別に大人たちに何だかんだと言われたりしたワケでもなく、だからボクの故郷の地に関する限りは表立った差別と言ったものはなかったと思うのだが、ただ、互いに干渉し合わない、互いの土地にも立ち入らない、という不文律めいたものが存在している空気はあった。

だけどイカダの人々は、その部落の人たちとも全く別の集団であり、大人に聞いても誰も答えてくれぬままに、いつしか姿を消していた。

そんな記憶がふと蘇って来たのだけれども、もちろん今、その正体を知る術なんてあろうはずもない。
けれどもしかしたら、あの人たちは、「サンカ」と呼ばれるまつろわぬ民の一族であったのではなかろうか、と、今、そんな風に思う。

まつろわぬ民‥‥太古において大和朝廷に従するコトを潔しとせず身を隠した先住者の一族。
侵略と支配の繰り返しこそが歴史の本性なのだから、その正当性を云々する気は毛頭ないが、節を曲げて長いものに巻かれるくらいならば滅びをも辞さず、という在り方はいっそ清々しくさえあり共感を禁じ得ない。
ボク自身も、ひとたびオトコとして生きるコトをオノレに誓ったからには、気力の萎えごときで節を失っちゃイカン。
たとえそれが抗いようのない「運命」なるものが相手であったとしても、まつろわぬ者としての本分を貫いて行かねばな〜、などと、結局いつも通りの変わり映えのしない結論に辿り着くばかりの今日この頃ではあるな(^◇^;)

まー俺なんぞは理想ばっか夢見て現実に抗いながら何のいい思いもせず路傍の露と消えるサダメなんだろうけど、そーいう生まれ性だからしょーがないやね。
だけど何に対して抗うか、ってなった時にさ、ツマンネー決まり事なんぞをイチイチ突っぱねて悦に入ってるような薄みっともねー反抗はヤだね。抗いようもない巨大な何かに叛逆の狼煙を上げてこそ、ヒトの霊性は成長するのではなかろうか。
‥‥霊性ってよくワカンネーんですけどね(^◇^;)


PS 生きてます。かろーじて。
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な〜んかもうね、片っ端から世の中にソッポ向きたくなる時があるよね。

思えば人の世ってヤツはさ、色んな局面で型にはめられるってコトがやたらと多い。
それが所属組織の枠組みの中でなら、まーしょーがねーや、どしてもイヤんなったら出て行きゃいーんだし、なんて自分を慰めるコトもしたくはないが出来なくもないのだが、そーではない世界で「お人柄」みたいなものをテキトーに期待されてよ、「テンペイ斯くあるべき」みたいな、「道端に落ちてるものを拾って食ってはいけません」みたいな、「タマゴを茹でる時には小さじ一杯のお塩を入れましょう」みたいな、イヤ最後のはチョッと違うような気もするが、しかしいずれにせよ、そんなん徹頭徹尾俺の勝手なのだ。

塩を入れずに茹でたタマゴを商売で売ろうってんじゃないんだからさ、俺が食うんだから、カラが剥きやすかろうが剥きにくかろーが大きなお世話なのだ。
ついでに落ちてるもん拾って食ってみたって、腹壊すのはあくまでも俺であって、そんでも医者なんか行きもせず一人でウンウン唸ってるだけなのだから誰も困りゃせん。正露丸が一瓶余計に売れて薬局が喜ぶだけだ。
むしろ「拾得物です〜」なんて言って焼き鳥の一串とか持ち込まれた日にゃ、村の駐在のほうが困っちまうとゆーのだ。

だが悲しいコトに、世間はいつもヒトを型にはめたがる。自分にとって都合の良い枠組みにヒトを収めちまえば、それは安心であるに違いないが、しかしそれは野生動物を檻に閉じ込めて鑑賞したがるのと同じだゾ。
ボクは風のようにいつも生きていたい。
♪そんな時ボクはバーボンを抱いている〜、うひゃうひゃ。



‥‥じゃなくて、そんな時ボクは、もうホント世間との接触とか一切合切断ち切って、ただ一人無人島でロビンソンクルーソーやりたい! 一人だけど十五少年漂流記やりたい!! 風船にヘリウムガス詰めて青空の彼方へ飛び去りたい!!! などとココロ激しく思うのだ。
逃避願望と呼ばば呼べ。どーせ聞こえやせんから知ったこっちゃねーや(^^)v



だが実際問題として、無人島独りぼっちの生活をアタマの中で徒然シミュレートしてみるに、三日で死ぬ自信があるんだ、俺。
別に自殺願望はないのだから三日ではチと面はゆい、、、じゃなかった心苦しい、、、イヤ心苦しくもないな、単にバカらしいだけだな。
せめてよ、四季の移り変わりくらいはキッチリ体験してから、獲物捕る用に自分で掘った落とし穴にハマって這い上がれず飢え死にするよーな、そんなオモシロおかしい最後を遂げるのならば良い。

そう、ヒトから見れば喜劇、本人に取っては悔やんでも悔やみきれないチョー悲劇、ってそれは何か先週書きかけだったテーマのよーな気もするが、しかも「前編」と銘打って終わってたよーな気もするが、そーいうコトを突き詰めたい気分ではないのだ今日の俺は。



で、結局無人島で一人じゃ生きて行けねー自信があるから、次の策としてもうチョイ現実的に、カノジョと二人で無人島!!な〜んて辺りじゃどうだろう?

「オメーにカノジョとかいんのかよっ」とかそーいうのはいらんお世話で、ちゃ〜んと右の肩には妖精サンがおって四六時中俺の耳元にナニゴトか囁きかけてくれてるとゆーのだ。
妖精サンのお名前はMW600・エリザベス・iPhone、とっても歌が大好きで、何故か曲の好みが俺とスンゲー合ってるの(ハート、ってホットケよ(^◇^;)

だけどカノジョと二人だけつーのもさ、心理的には最も落ち着く気がするが、生き抜くに際しては一人でいるのと大差ない気もすんだよねー。
そりゃーロビンソンクルーソー顔負けの強靱な意志と体力と逞しさを合わせ持ち、乱世を生き抜く為にあらゆる創意工夫と防衛と計略を怠らない抜け目のないカノジョなら別だが、しかしそんなカノジョはどっちかと言えばいらん。



そーすっと、ヤッパ自分に足りない知識やら技術やら特殊技能やら補い合うために、ヒトは複数構成による集団生活を営まねばならんコトになり、それは既にして社会である。

そんじゃーさ、ギリギリ妥協して、小集団の社会、即ち気の合った者同士で無人島買い取ってコミューン的に暮らすってのはどーよ?



って、実は俺はコミューン的な集団ってのも余り好きじゃないのな(^◇^;)
特にカルト系ではそーいうの多いっしょ。最初から部外者とは交流しません、みたいな排他的他者侮蔑的閉鎖的観念を根底に持って生きるのは、同じヒトとしてどーなのよ、って思う。

イヤ、そーいうのがさ、社会を形成してなきゃいーと思うんですよ。個々の問題ならね。
それこそ恋人同士とかさ、あるいはせいぜい家族・一族郎党くらいまでなら、その排他的というか独立集団的存在も許容出来る。
ってか実際、そーいうのは確として存在してるもんね。オモテではごく普通の一般社会の構成員に見えて、実は排他的独立集団である、つーの。
ま、家庭なんつーもんが元からそーだけどねぇ。



って考えると答えはいつになっても堂々巡りでさ、結局のところヒトは無人島で伸び伸び暮らせるようには出来てない、ってトコに行き着くのな。
いかに息苦しかろうとも、ヒトは社会の構成要素の一つとしてヒトに揉まれて肩を押し合いへし合い生きている姿こそが自然なのだと。

‥‥でもやっぱ、自由でありたいよな。。。

みんなみんないいヤツばかりだと
お世辞をつかうのが億劫になり
中にはイヤなヤツだっているんだよと
大声で叫ぶほどの勇気もなし
とにかく誰にも会わないで
勝手に酔っぱらっちまったほうが勝ちさ
そんな時 僕はバーボンを抱いている

ー 「ペニーレインでバーボン」 吉田拓郎 ー





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ヒトは本当は空を飛べるんだけど、「そんなワケない」って疑った瞬間から永遠に飛べなくなる、ってハナシを聞いたコトがある。
「人の夢」と書いて「儚い」だけど、それも同じように、現実を見据えた途端に雲散霧消してしまうトコから生じた言葉なのだろうか。

思えば幾つもの夢を追っかけて生きてきて、だけどほとんどの夢は叶わなかった。叶わないままにこんなトコまで来ちまって、俺もカワイソーなオトコではある(^◇^;)

んでもね、叶っちゃいないが手放したワケでもない。ま、手放したものも少しはあるが、人生なんて最後のドン詰まりまでどんな逆転劇が待ってるかわかりゃしねーんだからね、俺は出来るだけ多くの夢をイマワの際まで抱きしめていたい。

‥‥どーせね、こんな年まで生きちまってよ、今さら人間変わりようもないが変わろうって気もないし、こーなったらあがけるだけあがいてやれ、とか思ってんだよね。
ヒトサマの眼には途方もないオロカモノに映ろうが、夢まみれで死んじゃる!とかね。



だけど現実世界を半ば無視して夢の世界に片足突っ込んで、、、もっと突っ込んでるかもしらんけど(^◇^;)、、、暮らしてっとさ、ただでさえ不確定要素の強い未来がますます曖昧模糊としてくるのはやむを得ないコトなんですね。
あまりにも曖昧過ぎて、俺は半年とか一年とかのスパンでものを考えるってコトさえ出来ん。
未来なんてせいぜい三ヶ月先くらいまでしか考えちゃいらんねーワケですよ。それ越えた未来ってなると、俺にとっては意味のない単なる空想、絵空事に過ぎなくなっちまう。

ま、誰にとっても本当に確かなものは今この時だけ、その「この時」さえもあっという間に過去へと通り過ぎ二度と再び戻りはしない。
そーとも、ヒトはみな「刹那」を生きている。過去に触れるコトは出来ないし、未来にすがっても明日があるとは限らないのだよ。
だからこそ俺は刹那の感情に忠実に、腹が減ればメシを食い、写真撮りたければ「腹がいてー」とか言っては仕事を‥‥‥‥ちょっと待ってね、常務め、ココ見てたりせんだろーな?

ま、見てないと想定してハナシを進めるが、そもそも俺はタイムカードの檻なんぞに閉じ込められたくはないとゆーのだ。定時間仕事してる「振りをして」、30分で終わる仕事に1時間かけてだらだら会社に居続けるのと、とっととノルマ片付けて「んじゃ俺、メシ食ったら帰りますねー」ってのとドッチがマシですか、つーの。引き延ばしなんて自分の時間食いつぶしてるだけじゃんよ。ヒトはもっと自由であっていいんじゃないか?

‥‥とか、俺とハナシすっと会社の運営方針がどんどん人生論方面にズレて行っちゃうんで、近頃常務は俺んトコに電話して来なくなっちゃったんですね(^◇^;)
「また今度メールしますから」とか言うんですよー、、、ま、電話代のムダだもんね(^◇^;)
なんせ我が社の今年のスローガンは「ムダを無くそう!」ですからー\(^O^)/



いや、常務のハナシはどーでもいいのだ。
俺が言いたかったのは、夢に片足突っ込んで生きてるオトコの未来図は普通以上にとてつもなく曖昧模糊としているよ、ってコトだったのだ。多分そのはず!

それはホントにもう闇夜を手探りで徘徊するような、嵐の海で羅針盤ぶっ壊した小舟のような、心細くも頼りない、自身の強がりと楽観主義だけが拠り所の哀しみの旅路を、俺はトボトボ歩いているとゆーのだ。
‥‥別に自分に酔ってるワケではないよ。客観的事実をサラッと述べておる(^◇^;)

だけど本当にそんな状態だと、ヒトは途方にくれるばかりでとても希望なんて見いだせっこない。
なんぼ俺でもきっとその場に倒れ伏して、神サマ仏サマご先祖サマ、果ては死んじゃった父ちゃん母ちゃんにまで泣いて許しを請うと思うんですよ。‥‥あるいは逆上して飛び後ろ回し蹴りを叩きつける(笑)

で、最近気付いたんだけど、道はまるで見えずともヤケ起こさずに前に進んで来れたのは、そこにいっつも「光」があったからなんですね。
それは自分の心が生んだ都合の良い幻だったのかもしれないけれど、視線を上げれば闇路の果てにいつも光が見えてた気がする。
そーいう幾つかの光を標として、俺は人生投げ出さずにここまで来れたし、きっとこれからも歩いて行ける。
いつも光があった、それだけで俺は「刹那」を存分に生きることが出来た。なんてありがたい。

‥‥なんか遺言みてーだが、悪いがまだ今んトコ死ぬ予定はないよ(^◇^;)
ただ、そーいうコトを実感として思えるようになった自分がチョッと嬉しいだけよ。
この際だから太陽から父ちゃん母ちゃんまでひっくるめて、礼の言葉を述べておきたいと思ったのよ、ヒマなサタデーナイトだし(笑)


やっぱりヒトは一人では生きられないものですよね。
道は照らさずとも心を照らしてくれた全ての光に感謝を込めて。


  光あるうちに行け
  星があかりを掲げてるあいだ‥‥


 ー 甲斐よしひろ 「光あるうちに行け」 ー


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「一人のためにみんなが、みんなのために一人が」って言葉がスゲー好きだ。
初めて出会ったのはいつの頃だったか全く覚えちゃいないんだけど、何にせよハナタレの頃だったことは間違いない。
それ以来「座って半畳、寝て一畳」と並ぶ座右の銘としてボクの心に住み着いちゃったのだ。
住み着いちゃったくらいだから俺の悲喜劇的な半生はこーいった言葉に振り回された結果、と言えなくもない。
謝罪と弁償を‥‥

あーネコがうるせー(^◇^;)
キーボードが叩けねー(^◇^;)

で、この言葉は「ダルタニャン物語」つーバカ長いオハナシに出てくる。
書き手は「アレクサンドル ”大 ”デュマ」、おフランスの大文豪だ。

‥‥アレクサンドル ”大 ”デュマ‥‥(笑)
なんかカッケー。ダイナマイトのリングに上がれそう。是非ともミノワマンと戦ってほしい!!!

じゃなくてな、このダルタニャン物語ってのは、一般には「三銃士」として名高い。
もっとも「三銃士」ってのは「ダルタニャン物語」のアタマの部分だけを抜き取ったものなのな。
「三銃士」自体がどこで終わってたかはもう全くもって記憶の片隅にも残っちゃいないが、本来のオハナシは本当にメチャ長く、それはどんくらい長いかつーと吉川英治の「三國志」の倍以上あんじゃねーか?つーくらい長い。
確か最後は元帥になって定年退職間近のダルタニャンが戦死するまで続いたと思う。
読む方だって大変だが、それを書ききる精神力つーのもモノ凄マジいやね。
そんで「三銃士」はそのほんのサワリに過ぎない、つーのがまたスゲー。
ちなみに「鉄仮面」とかもこのダルタニャン物語の一部なんですから!!

が、そんなウンチクバナシはどーでもよくて、、、ナラバイウナ(^◇^;)
いや、ひけらかしたいのよ俺は。そーいう気分の時だってあるのよ。いーのいーの。
食いたいものを食い言いたいことをホザくのよ、俺は。

あ、気がついたらネコどっか行った(^^)v

んでもって、冒頭の言葉はこのダルタニャン物語のショッパナのエピソード、すなわち片田舎から上京(つーのか?)したてのハナタレのダルタニャンが三銃士と刎頸の交わりを結んだ時の言葉なのな。
ま、「三國志」の「桃園の誓い」みたいなもんだ。
「我ら同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、願わくば同年、同月、同日に死せん事を」
ん〜、カッケー(^◇^;)

しかし誓いの重みとしては「桃園」のほうにシビれるが、リアリティは「ダルタニャン」のほうが上だよね。
「一人のためにみんなが、みんのために一人が」、これが実践できる集団は小なりと言えどもスゴイ力を秘めてると思うんだよな〜。
そんで大事なものを守るためには「力」って絶対必要なんだよね。

だけど世の中にゃーさ、他人のためにホンのチョッとでも尽力することを自分が大損こいたみたいに思うヤツもおる。
協力し合うのが前提の状況下で協力を求められて、イチイチもったいつけて腰の重いヤツもおる。
‥‥言いたくないが俺の身近にもおる(^◇^;)
俺はそーいうヤツとは徹底的に口を効かんコトにしておる(^◇^;)
そーいうヤツにとって、自分の力は自分の保身にだけ使うものらしい。好きにしやがれですよ。

でもなぁ、「力」に限らずさ、「カネ」だって「愛」とかだって同じだと思うんだが、しまい込むもんじゃねーべよ。何のために欲しがるのかって、惜しみなく使い切るためじゃねーの?
仮に分かち合おうなんつー気持ちは全くなくてひたすら自分だけのためであったとしても、出し惜しみしなけりゃさ、自然に周りにも溢れる部分ってあるじゃんな。
冷え切った部屋の中で自分が暖まるために暖を焚く。その火で他人もチッとは暖まる、それさえも損だと思い込んで生きるなんて、寂しい人生だよな。さもしいとも言うが(笑)

結論。
しまい込むのは大切な想い出だけでいい。俺は感情も力も惜しみなく撒き散らして生きよう。
そんでストレートでダイレクトでダイナミックでダイナマイトでダイヤモンドでダイオキシンな時を刻むんだもんねー。

‥‥あー「アレクサンドル ”大”デュマ VS ミノワマン」が見てー。。。

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